津谷館跡(読み)つやたてあと

日本歴史地名大系 「津谷館跡」の解説

津谷館跡
つやたてあと

[現在地名]本吉町 津谷館岡

津谷の町並北端、津谷川沿いに発達した沖積地に面して西に延びる丘陵先端に位置する。平地との比高は約五〇メートル。海岸沿いの街道と海岸部から内陸部へ向かう街道の分岐点であり、周辺は古くからの産金地帯として知られる。獅子ししヶ館ともよばれる。「津谷村安永風土記」に古館とあり、高さ八丈、南北五〇間・東西三五間で、館主は米倉左近将監とある。米倉氏については出自などははっきりしないが、嘉暦元年(一三二六)薄衣清村が津谷村に移り米倉を名乗り、応安五年(一三七二)次男米倉持村が当館に居したともいう(本吉町の文化財)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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