朝日日本歴史人物事典 「津軽寧親」の解説
津軽寧親
生年:明和2.1.17(1765.3.8)
江戸後期の大名。弘前藩(青森県)9代藩主。分家の黒石津軽家著高の子,母は黒田直純の娘。江戸生まれ。8代藩主津軽信明の養子となる。寛政3(1791)年襲封。信明の代より進めていた寛政の改革を推進し,廃田復興と新田開発を実施した。7年には国元に藩校稽古館を,9年には江戸に弘道館を設立して藩士に学問を奨励した。蝦夷地警備の出兵を幕府からたびたび命じられ,その功により文化2(1805)年に7万石,5年には10万石に高直りした。刑法の整備にも努めたが,蝦夷地警備に関する財政の支出増大と高直りにともなう経費の増加のため,財政が逼迫し,10年弘前藩最大の一揆,民次郎一揆が勃発。また,津軽氏の高直りに不満を持つ南部藩士が,文政4(1821)年,寧親を襲撃しようとした事件(相馬大作事件)も起こった。江戸で死去。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報