日本歴史地名大系 「津野庄」の解説
津野庄
つののしよう
須崎市の
平安末期に下鴨社の禰宜であった祐季は、位階の上進を願ったが許されず、代りに疲弊した社領を立直すことを理由に津野保を相伝の所領として与えられ、毎年三〇石を進納することとなった。当時の津野保の範囲は、「東限本庄堺、西限津野河西山、北限□杠寺山、南限海」(同官宣旨案)という四至から、現須崎市
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
須崎市の
平安末期に下鴨社の禰宜であった祐季は、位階の上進を願ったが許されず、代りに疲弊した社領を立直すことを理由に津野保を相伝の所領として与えられ、毎年三〇石を進納することとなった。当時の津野保の範囲は、「東限本庄堺、西限津野河西山、北限□杠寺山、南限海」(同官宣旨案)という四至から、現須崎市
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[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...