改訂新版 世界大百科事典 「津野」の意味・わかりやすい解説
津野[町] (つの)
高知県中西部,高岡郡の町。2005年2月葉山(はやま)村と東津野村が合体して成立した。人口6407(2010)。
葉山
津野町東部の旧村。高岡郡所属。人口4425(2000)。村の北西端,鶴松(かくしよう)森(1100m)近くに源を発する新荘川が,東西に走る断層線に沿って東流,須崎市に入って須崎湾に注ぐ。沿岸には河岸段丘が発達。北,西,南の三方は山が連なり,古くからコウゾ,ミツマタの栽培が盛んで,手すき和紙の産地として知られた。農林業を主とし,米作のほかミカン,ショウガ,ニラなどの野菜の栽培が行われ,杉,ヒノキの良材も産する。村域は古くは半山(はやま)郷とよばれ,中世,津野荘一帯に広く勢力を有した津野氏が,姫野々に城を構えていた。姫野々の中央に鎮座する白雲神社は,その築城に際し四方固めの神社として勧請したものという。同じく姫野々の三島神社,また永野の春日神社も津野氏の勧請と伝え,この両社では例祭に花取り踊が奉納される。新荘川に沿って須崎市から国道197号線が通じる。
東津野
津野町西部の旧村。高岡郡所属。人口2833(2000)。四万十(しまんと)川の源流域に位置し,北の愛媛県との境をなす山地は四国カルスト地帯で,北東の仁淀川町,西の檮原(ゆすはら)町にかけての天狗高原一帯は石灰岩の露出がとくに顕著である。北東部の不入(いらず)山(1336m)に源を発する船戸川,北川が南流する。村内には船戸遺跡,北川遺跡などの縄文遺跡が点在。中世には,津野荘一帯に勢力を有した津野氏領の最奥の地で,当村から檮原町にかけては津野山郷と呼ばれた。五山文学の双璧と称される義堂周信,絶海中津はともに津野氏の一族で,船戸の出身と伝える。津野山郷は紙や茶の生産が盛んで,江戸時代には土佐藩が商品生産物の統制を強化,藩指定問屋の不当に抗して1755年(宝暦5)津野山騒動が起こった。このとき処刑された中平善之進を慰霊する風神鎮塚が北川にある。また津野山郷一帯の氏神の秋祭に奉納される津野山神楽は国指定重要無形民俗文化財〈土佐の神楽〉の一つ。北川の三島神社境内にある農村歌舞伎舞台は国の重要有形民俗文化財。なお吉村寅太郎は村内芳生野(よしうの)の出身で,吉村家は代々庄屋を務めていた。林業を主とし,シイタケ,茶,栗などを産する。東西に国道197号線が通り,東の旧葉山村との境の布施ヶ坂は眺望に恵まれるが,かつては街道の難所として知られた。
執筆者:萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報