日本歴史地名大系 「津門村」の解説 津門村つとむら 兵庫県:西宮市津門村[現在地名]西宮市津門大塚町(つとおおつかちよう)・津門稲荷町(つといなりちよう)・津門西口町(つとにしぐちちよう)・津門仁辺町(つとにべちよう)・津門宝津町(つとほうづちよう)・津門住江町(つとすみえちよう)・津門大箇町(つとおおごちよう)・津門綾羽町(つとあやはちよう)・津門呉羽町(つとくれはちよう)・津門飯田町(つといいでんちよう)・津門川町(つとがわちよう)・高松町(たかまつちよう)・深津町(ふかづちよう)・高畑町(たかはたちよう)・上甲子園(かみこうしえん)五丁目・松原町(まつばらちよう)・池田町(いけだちよう)・染殿町(そめどのちよう)今津(いまづ)村の西に位置し武庫(むこ)郡に属する。村南部を中国街道が東西に通り、中央部を津門川が南流して東(ひがし)川に合流する。明治一三年(一八八〇)地内から扁平鈕式六区袈裟襷文銅鐸が出土したが、第二次世界大戦の戦禍で損傷。藤原宮跡出土木簡に「津刀里津守連」がみえ、「和名抄」武庫郡に津門郷があり、当地が遺称地とみられている。古代には海に面した重要港津で、住吉(すみのえ)津(現大阪市)をはじめとする摂津の港湾を管掌した津守連の一族がいたと考えられる。また「万葉集」巻三に「角(つの)の松原」、巻一七に「都努(つの)の松原」と詠まれた景勝地でもあった。「摂津名所図会」は津門・西宮の間にある古松二〇本ばかりの林を松原の旧跡とする。永徳二年(一三八二)二月一二日の長蘆寺宗算跡諸方出挙方証文目録(大徳寺文書)によると、応安七年(一三七四)四月に「津門別所番頭」が連署して米一石を、また二年後の四月にも「つとの別所法師太郎」が米一石を長蘆(ちようろ)寺から借りていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by