流留村(読み)ながるむら

日本歴史地名大系 「流留村」の解説

流留村
ながるむら

[現在地名]石巻市流留

万石まんごく浦の西岸に立地。北は沢田さわだ村、西は根岸ねぎし村本郷、南は同村端郷渡波わたのは町に接する塩業主体の村落。村名の由来につき「安永風土記」は「当村入海之中ニ弁財天堂相立候嶋御座候処、往古右嶋大海より流来此所ニ相留候由、右由来ヲ相称流留村と村名ニ唱来候由申伝候、又ハ朝日天女と申御方空舟ニ乗来、取揚坂と申処流留申候を郷人立寄見候ヘハ、最早相果候ニ付取揚候葬リ塚ニ築、其塚を取揚塚と唱来申候由、右朝日天女流留候縁を以村名ニ唱来候由ニも申伝御座候」と伝える。尊い女性が空舟うつおぶねで漂着する説話は類型的な神話・伝説で、三陸海岸地帯にも各所にあるが、その痕跡が村名や小地名に残り、古く書留められていたのは珍しい。同書に記す取揚とりあげ坂の丘陵麓に縄文時代―中世の取揚坂貝塚、字まちの丘陵麓には縄文―平安時代の町貝塚がある。

正保郷帳に田一七貫四五三文・畑二貫七三文とあり、旱損と注記される。「牡鹿郡万御改書上」によれば、元禄年間(一六八八―一七〇四)には東西一八町五七間、南北一三町三九間、田一八貫九七七文・畑二貫六二七文で、うち新田二貫七八文、人頭一七人(寺共ニ)、男二〇七・女一六八、三間に一〇間の塩蔵があり、会所一があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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