日本歴史地名大系 「根岸村」の解説
根岸村
ねぎしむら
根岸村
ねぎしむら
南は海、西は
根岸村
ねぎしむら
- 青森県:八戸市
- 根岸村
八戸城下の西、
藩政当初は盛岡藩に属する。元和四年(一六一八)の知行目録に「弐百弐拾五石六斗五升三合 春田村」とあり、根城南部氏に給されているのは張田のことか。雑書の正保二年(一六四五)五月二八日条に「八戸ニて正法寺村五郎次郎と申者之家へ下田将監内秋藤茂助と申者、今廿四日之晩忍入、茶釜一ツ・鍋壱ツ・鍬弐丁盗出候を為知合討留候由」とある。寛文四年(一六六四)八戸藩の創設とともに同藩領に編入。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳に根岸村、高五六七・四七一石、うち田四五七・二五七石とある。
根岸村
ねぎしむら
- 埼玉県:川口市
- 根岸村
在家村の南に位置し、北の山林台地と南の低地に立地する。南端を
根岸村
ねぎしむら
- 埼玉県:狭山市
- 根岸村
根岸村
ねぎしむら
- 宮城県:石巻市
- 根岸村
正保郷帳に田四一貫五一文・畑五貫二四九文、ほかに同所新田一七七文があり、旱損と注記される。「牡鹿郡万御改書上」によれば、元禄年間(一六八八―一七〇四)には、渡波を含んで東西三町四〇間、南北二一町四〇間の広さである。渡波を含まない田三八貫四六一文・畑四貫六〇文・茶畑二七一文で、うち新田は五貫七二五文、人頭四一人、男三〇八・女一七五。
根岸村
ねぎしむら
- 埼玉県:朝霞市
- 根岸村
岡村の南東にあり、
根岸村
ねぎしむら
根岸村
ねぎしむら
東は陸奥湾に臨み、南は
この村には福井姓が多く、先祖は越前
根岸村
ねぎしむら
根岸村
ねぎしむら
- 群馬県:藤岡市
- 根岸村
根岸村
ねぎしむら
根岸村
ねぎしむら
根岸村
ねぎしむら
- 千葉県:木更津市
- 根岸村
根岸村
ねぎしむら
根岸村
ねぎしむら
- 東京都:町田市
- 根岸村
根岸村
ねぎしむら
根岸村
ねぎしむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報