日本歴史地名大系 「浄喜寺」の解説 浄喜寺じようきじ 福岡県:行橋市今井村浄喜寺[現在地名]行橋市今井祓(はらい)川下流西岸の字守田(もりた)にある真宗大谷派寺院。守田山雲龍(うんりゆう)院と号し、本尊阿弥陀如来。浄喜寺寺号書下(浄喜寺文書)の裏書によれば、明応四年(一四九五)九月二八日に村上慶善が願主となり、本願寺実如から寺号を得て創建された。慶善は村上系譜(浄喜寺蔵)には壱岐守良成と称したとある。当寺は豊前を代表する真宗寺院で、寺蔵の親鸞絵像の裏書には元亀三年(一五七二)九月八日の顕如の署判があり、当寺三世良慶が浄喜寺の什宝である旨を注記している。良慶は軍事にも秀でており、石山合戦および天正八年(一五八〇)の紀州鷺森(さぎのもり)(現和歌山市)への退去にあたり教如の側にあって活躍したとされる(「浄喜寺良慶功績等」浄喜寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by