デジタル大辞泉 「浅利慶太」の意味・読み・例文・類語 あさり‐けいた【浅利慶太】 [1933~2018]演出家。東京の生まれ。昭和28年(1953)劇団四季を結成。ミュージカル「キャッツ」のロングラン公演を成功させるなど、日本におけるミュージカル人気の定着に尽力。長野オリンピックでは、開会式と閉会式の総合プロデューサーを務めた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
知恵蔵mini 「浅利慶太」の解説 浅利慶太 演出家、プロデューサー。1933年3月16日、東京都生まれ。慶應義塾大学中退後、53年に日下武史らと「劇団四季」を結成。54年の初公演で演出家としてデビュー。70年代より海外ミュージカルの翻訳上演を開始。76年、芸術選奨文部大臣賞を受賞。83年に劇団四季で初演された「キャッツ」はロングランとなった。劇団の運営・管理に当たる四季株式会社の代表としても活躍、「オペラ座の怪人」「ライオンキング」などのロングランで、劇団四季を年間200億円以上の売り上げを誇る大劇団に育て上げた。85年、イタリアの批評家賞プレミオ・アビアッティ賞を受賞。98年には、長野五輪開会式の総合プロデューサーを務めた。2003年、読売演劇大賞芸術栄誉賞を受賞。14年6月25日、四季株式会社の社長を退任したことが発表された。今後も演出家としての活動は続ける意向。 (2014-6-27) 出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅利慶太」の解説 浅利慶太 あさり-けいた 1933- 昭和後期-平成時代の演出家,プロデューサー。昭和8年3月16日生まれ。慶大在学中の昭和28年日下武史らと劇団四季を結成。翌年の初公演「アルデール又は聖女」で演出デビュー。38年日生劇場取締役。58年からのミュージカル「キャッツ」がロングランとなる。平成10年長野冬季五輪開会式の総合プロデューサー。15年読売演劇大賞芸術栄誉賞。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「浅利慶太」の解説 浅利 慶太 (あさり けいた) 生年月日:1933年3月16日昭和時代;平成時代の演出家;演劇プロデューサー 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅利慶太」の意味・わかりやすい解説 浅利慶太あさりけいた 「劇団四季」のページをご覧ください。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by