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松本幸四郎 マツモトコウシロウ

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デジタル大辞泉の解説

まつもと‐こうしろう〔‐カウシラウ〕【松本幸四郎】

歌舞伎俳優。屋号、高麗屋(こうらいや)。
(初世)[1674~1730]下総(しもうさ)の人。実事荒事に長じた。
(5世)[1764~1838]江戸の人。実悪に長じ、古今無双・三都随一といわれた名優。俗に、鼻高幸四郎ともよばれた。
(7世)[1870~1949]三重の生まれ。11世市川団十郎・8世松本幸四郎・2世尾上松緑の父。時代物・舞踊・新作にすぐれ、当たり役の「勧進帳」の弁慶は有名。
(8世)[1910~1982]7世の次男。東京の生まれ。時代物を得意とし、晩年は初世松本白鸚(はくおう)を名のった。文化勲章受章。

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百科事典マイペディアの解説

松本幸四郎【まつもとこうしろう】

歌舞伎俳優。松本小四郎から幸四郎と改めた初世〔1674-1730〕に始まり,現在9世。2世,3世はそれぞれ4世,5世市川團十郎を襲名。屋号高麗(こうらい)屋。4世〔1737-1802〕は実事(じつごと),和事(わごと)を得意とし,宝暦〜寛政期の江戸で活躍。
→関連項目尾上松緑高麗屋鶴屋南北

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世界大百科事典 第2版の解説

まつもとこうしろう【松本幸四郎】

歌舞伎俳優。9世ある。(1)初世(1674‐1730∥延宝2‐享保15) 幼名松本小四郎,下総小見川の生れ。元禄(1688‐1704)のはじめ江戸に出て,若衆方,女方,のち立役となる。1716年(享保1)に〈小〉を〈幸〉と改め,2世市川団十郎と並び称された。(2)2世 4世市川団十郎の前名。(3)3世 5世市川団十郎の前名。(4)4世(1737‐1802∥元文2‐享和2) 屋号高麗屋。1744年(延享1)江戸市村座に入り瀬川金吾,54年(宝暦4)瀬川錦次と改名,57年4世団十郎の門下となり市川武十郎,63年市川染五郎,同年さらに市川高麗蔵と改名,72年(安永1)36歳で師の前名をついで幸四郎となる。

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大辞林 第三版の解説

まつもとこうしろう【松本幸四郎】

歌舞伎俳優。屋号は四世以降高麗屋こうらいや。現在まで九世を数える。
○ (初世)(1674~1730) 下総しもうさの人。初名、久松小四郎。元禄(1688~1704)から享保(1716~1736)にかけて江戸で活躍。二世市川団十郎とともに名優といわれ、荒事に長じた。
○ (四世)(1737~1802) 京都の人。初め初世瀬川菊之丞に入門、のち四世市川団十郎の門人となり1772年四世を襲名。和事・実事を得意とした。
○ (五世)(1764~1838) 四世の子。文化文政期(1804~1830)に活躍し、三都随一の名優といわれた。実悪を得意とし、写実的新演出によって生世話物きぜわものを創始。鼻高幸四郎の異名があった。
○ (七世)(1870~1949) 九世市川団十郎の門人。大正から昭和にかけて活躍。時代物を得意とし、新作物や翻訳物も上演した。当たり役は「勧進帳」の弁慶、大森彦七など。舞踊藤間流の家元(三世藤間勘右衛門)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松本幸四郎
まつもとこうしろう

歌舞伎(かぶき)俳優。屋号は代々高麗屋(こうらいや)[服部幸雄]

初世

(1674―1730)幼名小四郎。下総(しもうさ)国(千葉県)小見川(おみがわ)の生まれと伝える。1716年(享保1)幸四郎と改名。実事(じつごと)、荒事(あらごと)、武道事(ぶどうごと)が得意で、2世市川団十郎と並ぶ名優とたたえられた。[服部幸雄]

2世

4世市川団十郎の前名。[服部幸雄]

3世

5世市川団十郎の前名。[服部幸雄]

4世

(1737―1802)京都生まれ。色子から若衆方(わかしゅがた)、さらに立役(たちやく)に転じた。江戸に下って4世市川団十郎の門弟となり、1772年(安永1)4世幸四郎を襲名。芸熱心な名優で、94年には極上上吉の最高位に位置づけられた。色立役で和事(わごと)、実事に本領があったが、晩年は実悪(じつあく)も演じた。曽我(そが)十郎、藤屋伊左衛門、帯屋長右衛門、工藤祐経(すけつね)などが当り役だった。[服部幸雄]

5世

(1764―1838)4世の子。立役から実悪に進み、1801年(享和1)前名3世市川高麗蔵(こまぞう)から5世を襲名した。容貌魁偉(ようぼうかいい)で実悪役者にふさわしく、俗に「鼻高幸四郎」とよばれて人気の高かった名優である。写実的な芸風で、4世鶴屋南北(つるやなんぼく)の生世話(きぜわ)の演技に新生面を開き、文化・文政(ぶんかぶんせい)期(1804~30)の江戸劇界の重鎮となって活躍した。仁木弾正(にっきだんじょう)、武智(たけち)光秀、高師直(こうのもろなお)、松王丸、直助権兵衛(なおすけごんべえ)、立場(たてば)の太平次(たへいじ)などが当り役。[服部幸雄]

6世

(1812―49)5世の長男。1844年(弘化1)6世を継ぐが、大成をみなかった。[服部幸雄]

7世

(1870―1949)幼年のころ2世藤間勘右衞門(ふじまかんえもん)の養子になり、9世市川団十郎の門に入る。市川金太郎・染五郎・8世高麗蔵を経て、1911年(明治44)7世を襲名。容姿・音調に優れ、時代、世話、所作事のいずれもよくした。師団十郎の芸脈を受け写実芸にも優れた。大正・昭和の劇壇の重鎮で、由良之助(ゆらのすけ)、松王丸、幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)、武智光秀など、古典の座頭(ざがしら)役の立役が勤める役に優れたものが多い。なかでも『勧進帳(かんじんちょう)』の弁慶はもっとも有名で、生涯に1600回余り演じた。11世市川団十郎、初世松本白鸚(はくおう)(8世幸四郎)、2世尾上松緑(おのえしょうろく)は、その子。芸談に『松のみどり』という名著がある。[服部幸雄]

8世

(1910―82)7世の次男。本名藤間順次郎。初世中村吉右衛門(きちえもん)に師事し、のちにその女婿(じょせい)となる。1949年(昭和24)5世市川染五郎から8世を襲名。吉右衛門譲りの時代物の型物によく、堅実な芸風を確立した。81年名跡を長男に譲り、初世白鸚を名のる。75年重要無形文化財、76年芸術院会員。81年文化勲章受章。[服部幸雄]

9世

(1942― )8世の長男。本名藤間昭曉。1981年(昭和56)、6世市川染五郎から9世を襲名。染五郎時代から『王様と私』『ラ・マンチャの男』ほかのミュージカルで有名になり、『オイディプス王』『アマデウス』ほかの翻訳劇に出演するなど、幅の広い芸で縦横の活躍をみせる。近年は歌舞伎に意欲をみせている。2005年(平成17)紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章。長男が7世市川染五郎(1973― )である。[服部幸雄]
『市川染五郎著『見果てぬ夢』(1981・コンパニオン出版) ▽松本幸四郎著『ギャルソンになった王様』(1996・広済堂出版) ▽松本幸四郎・水落潔著『幸四郎の見果てぬ夢』(1996・毎日新聞社)』

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