共同通信ニュース用語解説 「劇団四季」の解説
劇団四季
1953年、故
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1953年、故
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劇団名。1953年(昭和28)7月、劇作家加藤道夫の周囲に集まっていた浅利慶太(あさりけいた)、日下武史(くさかたけし)、藤野節子らが結成。翌年1月の旗揚げからしばらくは、ロシアやドイツ、北欧の劇作家を重視してきた築地(つきじ)小劇場以来の新劇の流れを否定して、アヌイ、ジロドゥーを中心とするフランス現代劇を精力的に上演して独自の路線を開いた。61年からしばらくは日生(にっせい)劇場との提携を深めて、ジロドゥー作『オンディーヌ』やシェークスピア作『ハムレット』を上演、新劇の大劇場での上演に一つのスタイルをつくった。かたわら、74年に日生劇場で初めて手がけたブロードウェー・ミュージカル『ウェスト・サイド物語』を契機にミュージカル路線を強化して、『コーラス・ライン』や『エビータ』などを次々と上演してヒットさせた。ことに83年に新宿の特設テント劇場で初演したロンドン・ミュージカル『キャッツ』はコンピュータを導入したチケット・サービスを初めて取り入れ、発売初日に16万枚を処理して従来の興行システムを変えると同時に、劇団の規模や活動を飛躍的に向上させた。83年10月には横浜市に「四季芸術センター」を新築落成、1998年(平成10)9月には東京浜松町に「春」「秋」と名づけた二つの四季劇場を完成させ、同年12月に四季劇場「春」でディズニー・ミュージカル『ライオンキング』のロングラン公演を開始、2001年8月に連続公演1000回に達し、なお記録を更新している。東京の二つの四季劇場と相前後して大阪MBS劇場・新名古屋ミュージカル劇場・福岡シティ劇場という三つの四季専用の劇場を開場し、年間200万人を超える観客を集める大劇団になった。ただし、移入ミュージカルの上演が主流で、わが国にミュージカルを定着させた功績はともかく、創造性に疑問を呈する向きもある。
[大笹吉雄]
『安倍寧著『劇団四季MUSICALS 浅利慶太とロイド=ウェバー』(1996・日之出出版)』▽『浅利慶太著『浅利慶太の四季』全4巻(1999・慶応義塾大学出版会)』
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…正式名称〈劇団仲間〉),〈新人会〉(早野寿郎,小沢昭一ら),〈三期会〉(広渡(ひろわたり)常敏,熊井宏之ら。現,〈東京演劇アンサンブル〉)らの若手新劇団も結成され,浅利慶太ら慶応大学や東京大学の学生演劇出身者によって〈四季〉(正式名称は〈劇団四季〉)も活動を始めた。 そのほかにも多くの新劇団が創立され,活動するが,60年代後半になると近代写実演劇や既成劇団のあり方に対する疑義表明や異議申し立てが盛んになり,既成劇団の分裂が起こるとともに,いわゆる〈アングラ小劇団〉が輩出した。…
…なお,19世紀の作品では,《シラノ・ド・ベルジュラック》(辰野隆・鈴木信太郎訳ほか)はよく親しまれた作品であり,例外的な存在となっている。また,20世紀の作家については,その時々の新風の紹介ということもあって,岩田豊雄らによる文学座での両大戦間近代劇の上演,芥川比呂志,加藤道夫らによる戦後演劇(サルトル,カミュ,アヌイ)の実験的紹介・上演から,劇団四季のジロードゥー,アヌイの上演に至る系譜を形づくっており,それは政治あるいはイデオロギー偏重の新劇界で,〈文学的〉という名の下での脱政治・脱イデオロギー的選択に照応している。逆に,俳優座衛星劇団の若手演劇人たちがサルトルにひかれたのは当然であった。…
※「劇団四季」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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