翻訳|Esperanto
ラテン語の espere (希望)から出た語。ザメンホフは当初、Dr. Esperanto の匿名でこれを発表した。
1887年にロシア領ポーランドのユダヤ人眼科医,L.L.ザメンホフによって考案された国際補助語。16ヵ条の簡単な文法規則(アクセントの位置の規則を含む。ザメンホフにより制定されその後変更されていない)と,900余りの単語(現在では新語などの必要からもっと増えている)から成り,発音は1字1音,1音1字主義である。発表されたときの考案者の匿名が〈エスペラント博士(ドクトーロ・エスペラントDoktoro Esperanto)〉であり,〈エスペラント〉とはエスペラントで〈希望する者〉の意である。やがてその匿名が彼の言語の名となった。国際語は国際的な相互コミュニケーションの必要から,とくに19世紀末以来さまざまな提案があったが,結局エスペラントのみが広く実用に供せられ,現在まで生き残った。これはエスペラント自体の優秀さと,そのよって立つ国際的平和主義の信念と,有能で熱心な追随者に恵まれていたことによるものであろう。
日本での代表的機関は1919年創立の日本エスペラント学会である。なお日本でも,いろいろな人たちがそれぞれの角度から,エスペラントに興味をもった。作家では二葉亭四迷,土岐善麿,秋田雨雀,学者では新村出(言語学者),黒板勝美(国史学者),思想家では大杉栄,長谷川テルなどである。
ロシア領ポーランドのビヤウィストクで生まれたザメンホフは幼時から多民族(ユダヤ人,ポーランド人,ドイツ人,ロシア人など),多言語(イディッシュ語,ヘブライ語,ポーランド語,ドイツ語,ロシア語,リトアニア語など),多宗教(ユダヤ教,ギリシア正教,カトリック,イスラムなど)の複雑な環境に育った。当時とくにユダヤ人は圧迫・迫害されていた。人々を仲よくさせる方法として,共通の国際語を作ることは,ザメンホフの幼時からの思想であった。同時に,鋭く繊細な言語感覚の持主でもあったザメンホフは,その考案した国際語を,実際の使用に耐える,皆に納得される,芸術性をも備えた言語にしようとした。現在エスペランチスト(エスペラントでe-istoという)は約100万人,熱心な活動家は約10万人であろう。
エスペラントはその理想とする国際主義・絶対的平和主義のために,とくにスターリン時代のソ連,ヒトラー時代のドイツのような全体主義体制の下で圧迫・迫害され,今も東欧圏にあっては,その活動はまったく自由ではないとする人もある。いろいろな政治的状況のなかで,特定の民族や国民が英語やロシア語などの大国の言語を学ぶことは,ときに強制され,ときには事実上必須であるが,そのような言葉によっては中小言語の話し手の気持は十分には代弁されず,ただロシア人や英語国民にとっての有利さが増すだけである,とエスペランチストは主張する。実際,東欧にあっても大国のはざまにある中小国家民族群,たとえばポーランド,チェコスロバキア,ハンガリー,ユーゴスラビアなどでは,熱心なエスペラント運動が展開されているもようである。だれの母国語でもない,中立的言語であるエスペラントは,踏まれても生き残る。しかし,それは逆に言うと,エスペラントはどこの国どの民族からも,とくに保護はされない。これに対してエスペランチストは,理想主義的国際主義の連帯をもって対抗するのである。
エスペラントは国際語としてある程度の実用性はもつが,今のところ大きな実利性をもたない。実利性から見れば自由国家群はもとより,ある程度は東欧にあっても,英語が他を圧して有利である。英語の実利性の相当の部分は,19世紀にあってはイギリスが,20世紀にあってはアメリカが,世界的大国であることからきている。しかしこれを真の国際語にしようとすると,他の言語圏から反発される。それは英語を母国語とする人々を著しく有利にする。いわゆる〈自然語〉であるから,文法などのさまざまな面で規則的ではないし,英米の文学,民間伝承,生活習慣に根ざすところも大きく,その学習は,入りやすいが達しがたい。優れた言語ではあっても,国際語となるには幾多の障害がある。とくに現在,少数グループの固有の言語の失地回復の運動がある中で,それらの固有の言語と英語が択一されるとしたら,英語が生き残る可能性は乏しい。
それに比し,当初からエスペラントは,固有の民族語を滅ぼすことを目的とせず,民族語を保存しつつ,相互の伝達のために国際補助語をも用いようという運動であった。現在のエスペランチストは現実的に,国境を廃止しようとせず政治からは中立に,国家と併存しながら国際的連帯をもとうとする。しかし趣旨から言ってそれは当然,言語的覇権主義に反対であるから,言語的大国からはよく思われない。そのような意味で政治的に〈危険な〉言語とされる恐れが常にある。世界は急速に,民族間,国家間の平衡の方向へ進みつつあるが,脱民族・脱国家は,永久に実現されない理想であろう。しかしこの多元的言語状態の中にあって,エスペラントの理想をなおまったく軽視することはできない。数ヵ国語を自由にあやつる能力と暇は,万人には期待できず,英語のみの覇権は世界で承認されず,かつ英語が世界中に広がりそのアングロ・サクソン性を失うことは,民族の固有文化という大きな特徴を失うことに等しい。したがってエスペラント運動は消えないであろう。
英語など西洋語の知識が少しある日本人を想定して,日本人にとってのエスペラント学習の問題点にもふれながら,以下にエスペラントの構造の概略を述べる。発音と綴り字は,英語よりはるかに簡略である。母音は五つあってa,e,i,o,uのイタリア的音価(ただし標準イタリア語のe,oの開口・狭口の別はない)であり,大部分の日本人にとって入りやすい。ただしuは円唇母音であり,日本語のウより深い発音が要求されよう。子音は28あって,lとrの区別が日本人にとってやっかいであるが,これは多くの他の言語の場合も同様である。
文法では,すべての不規則性が原理としては存在しないことが,何よりの強みである。名詞(すべて-oで終わる。例:rozo ローゾ〈バラ〉,floro フローロ〈花〉。なお,以下の例でのカタカナ表記はすべて便宜的なものである)は,性をもたず単複2数(複数は-jの語尾で示される。例:floroj フローロイ〈花〉)と,主格および対格(ほぼ日本語の助詞〈を〉で表すことができる格)の2格を有する。冠詞は,不定冠詞がなく,定冠詞laのみである。定冠詞の用法は,ある点までは英語から類推できよう。形容詞(すべて-aで終わる。例:bela ベーラ〈美しい〉,granda グランダ〈大きい〉)の比較法も,英語から類推できる(比較級と,優級つまり最上級とがあり,優等比較・劣等比較・同等比較がある)。形容詞の数と格は,名詞のそれと一致する(例:belaj floroj〈美しい花(複数)〉,belan floron〈美しい花を(対格)〉)。これは英語のみの学習者には少々負担であるが,フランス語,ドイツ語,ロシア語などの学習者にはそう困難でもない。なお,この点を改正しようとする試みもあったが挫折した。副詞は原則としてすべて-eで終わる(例:grande グランデ〈大きく〉,bone ボーネ〈上手に〉)。動詞の活用体系はインド・ヨーロッパ語的であり,表にみるようにまったく規則的であるから,英語から入りやすい。前置詞は,たとえば英語のonのように後ろに続く語句によってさまざまな意味(接触,方向,原因,手段,関係,累加など)をもちうるのではなく,〈一定不変の意義〉をもっている。数詞,代名詞,関係を表す副詞は,整然とした体系を有する(いわゆる〈相関語表〉はとくに有名。日本語のこ・そ・あ・どに似た体系性がある)。
語彙については,英語をある程度知り,フランス語の初歩を知り,ドイツ語を少々知っている人にはほとんど見当がつく。あとは独特の語形成法を知ればよい。語彙において英独仏以外の要素はごく少ないが,代表的なものは疑問詞ĉu(チュと発音し〈か(どうか)〉の意。ポーランド語czyからとったと推定される)と,英語のandの意のkaj(おそらくギリシア語kai〈そして〉から)がある。語形成法の例をあげると,〈小さな少女〉はmalgranda knabinoという。granda(形容詞)は〈大きい〉で,〈小さい〉は否定の接頭辞mal-(フランス語mal〈害悪〉を想起させる)を加えてmalgranda(〈大きくない〉つまり〈小さい〉)という。〈少年〉はknaboであり(ドイツ語Knabe〈少年〉を想起させる),-in-は女性を表す接尾辞であり(ドイツ語において-inで終わる名詞は女性名詞),-oは名詞語尾である。
らんぼうに言えば,5分間の学習でどのような言語かだいたいの見当はつく。もちろん文法にも細目があり,語彙も確実に知らなければ使えないから,毎日学習して一月はかかるであろう。しかし不規則性ができるだけ排除され整然としているから,ふつうの〈自然語〉より学びやすい。ただし,この規則性・統一性は人為的なものであるから,絶えず中心機関(具体的にはエスペラント・アカデミーAkademio de Esperantoという委員会)で規制していなければならない。そうでないと,英語なまりのエスペラントや,日本語なまりのエスペラントができてしまう。エスペランチストは,複雑さを言語の本質と考えず,簡単な規則性こそ言語にとってプラスだとする。
こういう,人為的に考案され規制された言語に対する非難の一つは,生きていない,微妙なニュアンスが欠ける,人工的で芸術性がない,というものである。ザメンホフはこの点に留意し,自分の手でシェークスピアの《ハムレット》や,旧約聖書の一部(現在は旧・新約全体の訳がある)をエスペラントに訳し,その優秀性を証明しようとした。現在までに日本文学からも《万葉集》,芥川竜之介,川端康成をはじめ多くの作品にエスペラント訳がある。芸術性の評価はむずかしいが,これらのエスペラント訳が多くのエスペランチストたちの心に訴えてきたことは否定できないだろう。また,エスペラントが〈生きた〉言語であるためには,単語の面で時代即応性をもつ必要がある。新しい事物,概念等を表すことばは,随時エスペランチストによって案出されていく。たとえばコンピューターはelektrona kalkulilo(電子・計算・機械)とかkomputeroとしている。しかし,各人,各国の新語をすべて認めていたら,〈自然語〉と同じようにことばが通じなくなってしまうから,先のエスペラント・アカデミーが各国,各民族の独自性にも配慮しながら,適宜それらを公認しまた廃止,統一していく。だが,それでも現在,〈西側〉と〈東側〉で若干のテクノロジー・軍事用語が異なるのはやむを得ぬことであろう。各民族語独特の単語は,エスペラントでも用いられ,〈下駄〉はgetaoj(-oは名詞,-jは複数(左右二つある)を示す),〈河童〉はkapaoとなる。
エスペランチストは,エスペラントが〈人工語〉であり〈自然語〉に対して劣る,という批評に反対する。彼らによると,どんな言語もまったく〈自然的〉ではなく,社会・文化的な産物であって,多少とも意識的に維持されてきたとするのである。確かに〈自然語〉に比べれば,エスペラントは人工性が高い言語であるかもしれないが,それは相対的なもので,そのことがエスペラントを普及していく上で致命的であるとは考えにくい。エスペラントの普及を阻む最大の障害は,今まで論じてきたような,さまざまな問題はあるものの,やはり根本的には〈わが仏のみ尊し〉とする人の心の偏狭さ,非寛容にあろう。現実に国際的コミュニケーションの場で広く用いられている英語も,文化的プラス面とは裏腹に,これを話す支配層と,話さない被支配層の差別に役立つことがしばしばある。人間にハンディキャップを課し,それにより差別する,という心はいろいろの悪を生む。エスペランチストはそのことに反対し,理想主義的な言語的平等主義,国際的平和主義を説くのである。エスペラントの強さも,その弱みも,みなその理想主義のなかにある。
執筆者:三宅 鴻
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ヨーロッパのおもな言語の単語や文法を整理してつくられた国際補助語(橋渡し言語)。ポーランド生まれのユダヤ人L・L・ザメンホフが考案し、1887年に発表した。2017年時点の世界エスペラント協会Universala Esperanto-Asocio(UEA)会員は119か国、1万3071人。学習者人口はこの20倍前後とみられる。オンライン百科事典「ウィキペディア」のエスペラント版の記事数は2018年時点で24万件を超え、これは全言語版中32位である。
[泉 幸男 2018年9月19日]
19世紀後半からヨーロッパでは交通の発達などで一般庶民の行動範囲が広がり、単なる宮廷外交の共通語(フランス語)や地域的な共通語(民族語)を超えた国際語の必要が実感されだした。ザメンホフの生まれ育った東ポーランドのビャウィストクは当時ロシア帝国領で、ユダヤ人やドイツ人移民も多い多言語地域であった。どの民族の言語でもない習いやすい共通語があればと、青年ザメンホフは試行錯誤を重ね、1887年にワルシャワで『国際語』を刊行する。これは、ロシア語書きのエスペラント教本で、このときのザメンホフの筆名「エスペラント博士」D-ro Esperanto(希望者博士)が、言語そのものの名ともなった。
エスペラントの理想主義は共鳴者を得た。1921年には、当時国際連盟事務次長であった新渡戸稲造(にとべいなぞう)が国際連盟総会に報告書を提出し、「外交のための言語は経済上の理由から英語とフランス語の2言語に限定されているが、世界的視野からみて、エスペラントのような共通語の採用こそ経済的で理にかなっている」と論じた。同年には、世界各国におけるエスペラント教育を国際連盟が奨励すべきとの提案を日本・中華民国など12か国が提出したが、実現しなかった。ドイツのナチス政権やソ連のスターリン政権下でエスペランチスト(エスペラント使用者)は危険思想の持ち主とみなされ弾圧を受けたが、第二次世界大戦後に活動を再開した。1954年にはユネスコ(国連教育科学文化機関)がエスペラントの国際文化交流への貢献を認め、世界エスペラント協会をユネスコの諮問団体と認定した。
[泉 幸男 2018年9月19日]
つづりはローマ字、1字1音素。アクセントは最後から2番目の音節と決まっている。書いてある通りに読めばよく、聞いた感じはイタリア語に似ている。単語の最後の文字を見れば、名詞か形容詞か動詞かがすぐにわかる。名詞の複数形や動詞の現在、過去、未来、命令、仮定形などは、語尾を規則的に変化させてつくられる。名詞の性の区別や動詞の人称変化はない。語順はかなり自由であるが、基本は主語―動詞―目的語―補語。前置詞、関係代名詞を使う。
語彙(ごい)は、7割がラテン系(フランス語、イタリア語、ラテン語などからとったもの)で、そのほかはドイツ語や英語などからのものが占める。たとえば「よい」は“bona”であるが、これはラテン語“bonus”やフランス語“bon”から語根“bon”を採用し、これに形容詞語尾の“-a”をつけたものである。語尾を名詞語尾の“-o”に変えて“bono”とすると「善」という意味の名詞になる。このように語根(形態素)の形が一定に保たれることから、言語学上エスペラントは膠着(こうちゃく)語に分類される。接頭・接尾辞が40以上もあり、一つの語根から多数の単語が生まれる。2002年刊の『エスペラント絵入り大辞典』La Nova Plena Ilustrita Vortaro de Esperantoは、1万6780の語根を収録している。そのほか各種専門用語集もある。
[泉 幸男 2018年9月19日]
世界エスペラント協会は、オランダのロッテルダムに本部がある。同協会が組織する世界大会は毎年1500~4000人が集い、すべての会議はもとより演劇・余興からキリスト教のミサに至るまでエスペラントで行われる。「都市代表ネットワークDelegita Reto」という国際情報サービス網(2017年時点で、102か国、1669人登録)も設けられ、また「パスポート・サービスPasporta Servo」という国際民宿制度もある。エスペラントが盛んな地域は、ヨーロッパ諸国と中国、日本、アメリカ、ブラジルなどである。人口比からいえば、フィンランド、オランダ、スウェーデン、デンマークのような国が目だつ。弱小言語を国語とするため言語問題に関心が高く、エスペラント運動の理念が理解されやすいからである。
[泉 幸男 2018年9月19日]
書籍、雑誌の出版が活動の中心である。各国の文学作品のエスペラントへの翻訳やエスペラント原作の詩・小説もある。エスペラント詩は、ハンガリー人のカールマン・カロチャイKálmán Kalocsay(1891―1976)が大成した。スコットランド人のウィリアム・オールドWilliam Auld(1924―2006)のエスペラント原作の叙事詩『幼年の民』La Infana Rasoは傑作とされ、オランダ語など7言語に訳されている。おもな雑誌に、政治・文化のニュースを報道する月刊『Monato(モナート)』(Monatoは「1か月」の意)がある。
[泉 幸男 2018年9月19日]
世界エスペラント協会の加盟団体として日本エスペラント協会がある。同協会は1919年(大正8)に日本エスペラント学会として設立され、2012年(平成24)に現名称となった。会員は2017年時点で1115人。月刊機関誌『エスペラント』を発行している。同協会のエスペラント書籍・雑誌の蔵書は世界有数である。このほか全国主要都市に学習サークルがある。1965年(昭和40)に第50回世界エスペラント大会(1710人参加)を東京で開催した当時が、社会的ブームのピークであった。その後、海外のエスペラント関連行事への参加者が飛躍的に増えた。2007年には第92回世界エスペラント大会(1901人参加)が横浜で開かれた。カナモジ運動やローマ字運動と異なりエスペラント運動がそれなりに続いているのは、国際交流という目にみえる利便性のためであろう。
[泉 幸男 2018年9月19日]
『三宅史平著『エスペラントの話』(1976・大学書林)』▽『L・L・ザメンホフ著、水野義明編訳『国際共通語の思想――エスペラントの創始者ザメンホフ論説集』(1997・新泉社)』▽『日本エスペラント学会エスペラント日本語辞典編集委員会編『エスペラント日本語辞典』(2006・日本エスペラント学会)』▽『安達信明著『ニューエクスプレス エスペラント語』(2008・白水社)』▽『田中克彦著『エスペラント――異端の言語』(岩波新書)』
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…1922年にE.deバールが発表)などがあるが,いずれも成功しなかった。〈エスペラント〉は1887年にザメンホフによって発表された,今日まで残る唯一の人工国際補助語である。しかし,それも創始者の理想に反して,現在の使用範囲はごく限られている。…
…今日もっとも広く使用されている人工語・国際語エスペラントの創始者。ユダヤ系ポーランド人でワルシャワの眼科医。…
※「エスペラント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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