浅利郷(読み)あさりごう

日本歴史地名大系 「浅利郷」の解説

浅利郷
あさりごう

笛吹川支流の浅利川に沿い、近世の浅利村より広い地域と推定される郷。朝利郷とも記す。当郷は古代末期から中世初頭にかけ甲斐源氏の拠点の一つで、逸見清光の子の浅利与一が居住した。与一は義成(尊卑分脈)・義遠(「吾妻鏡」建仁元年六月二九日条)などと記されるが、遠矢名手として「平家物語」巻一一に登場、勇婦坂額を将軍源頼家から賜っている(「吾妻鏡」前掲条)。墓所は大鳥居の大福おおとりいのだいふく寺にあり、居館跡も郷内に推定されている。文和三年(一三五四)一二月二四日の沙弥浄光譲状(新渡戸文書)に「甲斐国あをしまのしやうあさりのかうのうち」とみえ、郷内の田地一町・在家一間が惣領彦四郎に譲られており、南北朝期には当郷は青島あおしま庄に属していたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android