浅田門次郎(読み)あさだ・もんじろう

朝日日本歴史人物事典 「浅田門次郎」の解説

浅田門次郎

没年:明治12.8.17(1879)
生年:文化6(1809)
江戸末期の小田原藩(神奈川県)足軽。文政1(1818)年,父只助が同僚の成滝万助に殺害される事件があった。万助はいったん捕らえられたが脱獄出奔したため,兄鉄蔵と共に仇討ち免許を請う。当時幕府老中職にあった藩主大久保忠真からの許可を得て,兄と仇討ちの旅に出る。時に12歳の秋であった。江戸,大坂,中国,四国,九州と訪ね歩き,5年目の文政7年,常陸鹿島郡磯浜村で万助を発見,討ち取った。世に「文政曾我」などと評判になる。幕府公認のものとしては最後の仇討ちであった。藩主はこれを賞し,兄弟は共に士分に取り立てられた。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅田門次郎」の解説

浅田門次郎 あさだ-もんじろう

1809-1879 江戸時代後期の武士
文化6年生まれ。相模(さがみ)(神奈川県)小田原藩士。文政元年父只助が同僚の成滝万助に殺され,万助は捕らえられたが脱獄。幕府の仇(あだ)討ちの許可をえて各地をさがし,7年兄鉄蔵と常陸(ひたち)(茨城県)で仇を討つ。これは幕府公認最後の仇討ちとなり,「文政曾我(そが)」と称された。明治12年8月17日死去。71歳。名は光乗。

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