朝日日本歴史人物事典 「浅田門次郎」の解説
浅田門次郎
生年:文化6(1809)
江戸末期の小田原藩(神奈川県)足軽。文政1(1818)年,父只助が同僚の成滝万助に殺害される事件があった。万助はいったん捕らえられたが脱獄出奔したため,兄鉄蔵と共に仇討ち免許を請う。当時幕府老中職にあった藩主大久保忠真からの許可を得て,兄と仇討ちの旅に出る。時に12歳の秋であった。江戸,大坂,中国,四国,九州と訪ね歩き,5年目の文政7年,常陸鹿島郡磯浜村で万助を発見,討ち取った。世に「文政曾我」などと評判になる。幕府公認のものとしては最後の仇討ちであった。藩主はこれを賞し,兄弟は共に士分に取り立てられた。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報