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空手 からて

14件 の用語解説(空手の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

空手
からて

武道の一種。唐手とも書く。徒手空拳の格闘術で,手で打ち,拳で突き,足で蹴るの3技を中心とした攻め手とそれに対する受け手とからなる。中国の拳法の流れをくみ,沖縄に発達した。首里手と那覇手の二大系統が源流としてあったといわれる。

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知恵蔵2015の解説

空手

中国拳法の流れをくみ、沖縄で独自の発展を遂げた。突き、打ち、蹴りなど、全身を使って外敵から身を守ることを目的とした武術で、明治〜大正時代に全国に伝わり、現在では柔道と並んで世界的に普及。試合には形試合(採点制)と、極め技を競う組手試合とがある。組手試合は相手の攻撃部位の寸前で止める寸止めルールで実施される。日本国内には、四大流派と呼ばれる松涛館(しょうとうかん)流、剛柔(ごうじゅう)流、糸東(しとう)流、和道(わどう)流を始め、多数の流派が乱立しているが、統一組織として、1964年に全日本空手道連盟が発足した。70年には世界空手道連盟(WKF:World Karate Federation)も結成、2006年8月現在、加盟国・地域は173。2012ロンドン五輪の新競技として最終候補に残ったが、採用されなかった。

(安藤嘉浩 朝日新聞記者 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

空手

1対1で相手と向かい合い、数分間の試合で「突き」や「蹴り」などの打撃技で勝敗を決める格闘技。寸止めで勝敗を決し、定められた動きの「型」を重んずる伝統派や、防具を着用する派、極真会館をはじめとした直接打撃制を採用する派など、流派や会派によりルールは様々。今年度から始まった中学校の武道必修化で、空手を採り入れた学校もある。

(2013-02-06 朝日新聞 朝刊 兵庫全県 2地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

から‐て【空手/唐手】

(空手)手に何も持っていないこと。また、力となる武器や財産を持っていないこと。素手(すで)。「土産もなく―で訪問する」「―で立ち向かう」
沖縄に伝来した中国明代の拳法が、沖縄の古武道と合体して発達した武術。徒手空拳で身を守り、相手を制する格闘術で、突き・蹴り・受けを基本とする。

くう‐しゅ【空手】

何も持っていないこと。徒手。空拳。からて。

そら‐で【空手】

《「そらて」とも》これといった理由もなく手が痛むこと。神経痛リウマチなどで腕が痛む症状。

むな‐で【空手】

手に何も持たないこと。また、手をこまねいて何もしないこと。素手(すで)。からて。
「―に直(ただ)に取りてむ」〈・中〉

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百科事典マイペディアの解説

空手【からて】

唐手とも記す。武器を持つことなく,拳(こぶし)による突き,打ち,足による蹴(け)りを中心とする沖縄古来の武術。唐,宋から明にかけて整ったものと思われる中国拳法(けんぽう)が,のち沖縄に伝えられ,沖縄の伝統武術と融合して発達した。
→関連項目護身術日本武道館

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日本文化いろは事典の解説

空手

「K-1」など格闘技界において中心的存在である空手は、ブームに乗り、今大きな注目を浴びています。その形態は、寸止めルールに代表される「伝統派」 と、打撃によって相手を倒すことを目的とし、格闘技として知られている「実戦派」の2つに分かれています。どちらも武道としての空手の理念は共通していま す。

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世界大百科事典 第2版の解説

からて【空手】

身に武器を帯びず,徒手空拳,手と足を組織的に鍛練して,あたかも武器のような威力を発揮させ,身を守り敵を倒す沖縄古来の武術。
【発生と歴史】
 空手の起源は史的文献に乏しく定説がないが,形の名称に中国名が多いことからみても,中国拳法の影響を受け,沖縄古来の闘技と消化吸収しあって沖縄独自の武術となり,現在に至ったと考えられる。拳法は中国古来の闘技で,古くは春秋時代にさかのぼり,唐代には少林寺その他の寺院の僧兵などを中心に護身術として発達していた。

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大辞林 第三版の解説

からて【空手】

手になにも持っていないこと。素手すで。てぶら。 「お土産を忘れて、-で行く」 「 -で帰る」

くうしゅ【空手】

手に何も持っていないこと。からて。徒手。空拳。 「 -なれば途中の愁ひもなし/笈の小文」

むなで【空手】

素手すで。から手。むなしで。 「この山の神は-に直ただに取りてむ/古事記 中訓

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

空手
からて

徒手空拳(くうけん)をもって身体の使用可能なあらゆる部位、とくに手脚を組織的に鍛練し、その一突一蹴(ひとつきひとけり)で不時の敵を倒しうるように修練された護身術。勝敗を究極の目的とするものではなく、有形無形の試練を乗り越え鍛練を基礎とし、その汗のなかから人間完成への努力を図って、自己の可能性と礼とを深く窮めていく武道である。四肢を合理的に動かし、しかも平常あまり使用することのない筋肉をも十分に使用するので、身体の発達が一方に偏する心配のない優れた体育でもある。生理的には、正しい呼吸法によって精神を統一し、健康を生み出し増進する体術でもある。[金澤弘和]

発生と歴史

空手は元来「唐手」と書かれ、沖縄において発達完成された護身術であるが、その発生の過程で中国拳法(けんぽう)の影響を多分に受けている。古くは単に「手」とも称し、その発生の事情のゆえに秘法視され、教える者も学ぶ者も家族にすらわからないようにひそかに修練が行われたとされる。これは明治30年代、首里師範学校で公開されるまで続くが、この秘密性が唐手の性格に深い影響を及ぼしていることは見逃せない。それとともに、その威力のあまりの大きさに、霊妙唐手とか神秘唐手とかうたわれたのである。
 この唐手がいつの時代から沖縄に存在したのか、確かな文献が残されていないので口伝によるしかないが、1429年に長年の戦乱時代をよく統一しえた中山の尚巴志(しょうはし)王の極端な禁武政策と、1609年(慶長14)沖縄を制圧した薩摩(さつま)藩による武器禁止令により、武器をもつ敵からわが身を護(まも)る唯一の手段は徒手による護身術しかなくなったとされる。これらの事情を契機として、14世紀ごろ沖縄に大量に流入した中国の文物の一つとしての拳法が、秘密性の強い唐手へと高度に発達していったのである。
 沖縄の手(て)は、那覇手(なはて)、首里手(しゅりて)、泊手(とまりて)など沖縄の地名によって流派が分かれる。東恩納寛量(ひがおんなかんりょう)に代表される那覇手は昭霊流とも称し、体格の大きな人に向く重厚なもので、中国拳法の南拳に似ている。糸洲安恒(いとすあんこう)が集大成した首里手は昭林流(小林流)ともよばれ、軽快な北拳に似る。これらの基となる中国拳法は、5000年の歴史をもつとされるインドのヨーガ、中国の(カンフー)(医療体術)、三国時代の外科医華佗(かだ)が考案したという五禽(ごきん)の戯、達磨(だるま)大師が身体鍛練のため少林寺(河南省)において弟子の僧たちに授けたとの伝説もある易筋経(えききんきょう)が、それぞれ大きく影響しているとされる。[金澤弘和]

日本本土における発達

日本本土における空手の黎明(れいめい)は1922年(大正11)、当時沖縄尚武会会長であった船越義珍(ふなこしぎちん)が上京、当時の文部省主催の第1回体育展覧会で沖縄の特技「唐手」を演武、紹介したときに始まる。その後の唐手(空手)の興隆は、彼の人格的魅力とその指導力によるところが大きく、学生を中心に修業者が増え続け、1924年から35年(昭和10)までの勃興(ぼっこう)期には、慶應義塾大学、東京大学、第一高等学校(1949年東京大学に合併)、拓殖大学、早稲田(わせだ)大学、東京商科大学(現一橋大学)、法政大学などに相次いで空手部が創設された。これに刺激を受けた関西でも、1929年ごろ、摩文仁賢和(まぶにけんわ)(糸東(しとう)流創始者)、宮城長順(みやぎちょうじゅん)(剛柔(ごうじゅう)流創始者)、本部朝基(もとぶちょうき)、屋比久孟伝(やびくもうでん)などの指導者が渡来し、それを機に立命館大学、関西大学などに部活動が始まった。この大学生間での高揚がその後の空手道に幸いした。つまり、大学生の知性と日本武道の伝統と感覚が、霊妙神秘な唐手術を科学性のある近代空手道へと育成していった。これらは、1931年、船越による「唐手」から「空手道」への改称へとつながる。「空」の字は禅の理念に基づき、とくに「道」を加えたのは術偏重を戒め、武道としての精神面と倫理性を強調する趣意によるとされている。なお空手という字句は、1905年(明治38)花城長茂(はなしろちょうも)が著した『空手組手編』が文献上の初出とされる。
 1942年(昭和17)から43年ごろは、全国の主要大学の空手部を中心に第一次最盛期を迎えた。第二次世界大戦終戦後、一時停頓(ていとん)したが、1946年(昭和21)早大教授大浜信泉(しんせん)がGHQ(連合国最高司令部)、文部省(現文部科学省)と交渉。古来の護身面のほかに、競技、つまり他のスポーツと同様にルールを設けて試合のできるような近代スポーツ空手が研究されて再開を認められ、空手道は「君子の武道」として、新たな歩みを始めた。1947年には早大の道場において初めて各流合同の演武会が行われ、49年船越門下によって日本空手協会が結成される。翌年には全日本学生空手道連盟が結成、ふたたび学生や各流派を中心に隆盛期を迎えた。また、空手道の新しい一分野を開くものとして、1957年10月日本空手協会、産経時事共催の第1回全国空手道選手権大会が東京体育館にて開催され、同年11月、全日本学生空手道連盟でも初めての全国レベルでの試合を日本大学講堂(旧国技館)にて公開した。
 その後、各流派も一定のルールの基に全国大会を開催、1964年、流派を越えて全日本空手道連盟が結成された(初代会長大浜信泉)。[金澤弘和]

技術

空手道では「受けすなわち攻め」の観点からスピードがもっとも強く要求される。すなわち、受けからの攻撃、攻撃から受けへの体さばきや突き・蹴りなどのスピードが要求され、同時に突き・蹴りなどではタイミングが重要となる。タイミングを逸した攻撃は、効果が半減するばかりか、相手に攻撃されるすきの原因となる。
 身体のなかで空手道に直接使用される部位は、上肢部では手首から先と腕、肘(ひじ)など。下肢部では足指の爪先(つまさき)、指の付け根の裏側、足の甲や外側面、同内側面、後踵(うしろかかと)、膝頭(ひざがしら)など。そのほか前額部、後頭部、臀部(でんぶ)と、ほとんど全身が使われる。[金澤弘和]

練習体系

空手道の主要な練習体系は、基本、組手、型と一般的な各身体部位の鍛練法である。基本とは、立ち方のほかに主要な攻防の技(突き、蹴り、打ち、当て、受けなど)を一つ一つ正確に繰り返し行う練習方法であり、組手とは、相対して基本技法を実際に応用し、相手との間合いやタイミングのとり方、体さばき、転身、反射神経などを鍛える練習方法で、修練段階としては、基本組手、約束組手、自由組手とに分かれ、この過程を正しくたどり修業を積めば、一撃必殺的攻防の技が自由自在に応用実践できるようになる。型は、複数の敵を想定し、受け技、攻め技を合理的に組み合わせてつくりあげられた空手道の独習体系である。型には、敏捷(びんしょう)かつスピードを要するものと、身体の筋肉を締め固め、それによって急所を隠して行う重厚なものとの2種類がある。前者は首里手、後者は那覇手に属する。型の種類は、そのおもなものに、「首里手」としてピンアン(平安)初段から五段まで、ナイハンチン(内畔戦、鉄騎)、クーシャンクー(公相君、観空)、ジッテ(十手)、ジオン(慈恩)、ジイン(慈蔭)、チントウ(陳闘)、チンテ(珍手)、ワンシュウ(汪楫)、ローハイ(鷺牌)初段から三段まで、バッサイ(抜塞)大・小、ウーセーシー(五十四歩)、「那覇手」としてサンチン(三戦)、テンショウ(転掌)、ゲキサイ(撃砕)、セーサン(十三)、セーパイ(十八)、サンセールー(三十六)、スーパーリンペー(一百零八)、セイエンチン(征遠鎮)、ソウチン(壮鎮)、サイファ(砕破)、クルルンファ(来留破)、さらに「泊手」としてローハイ、ワンシュウ、トマリバッサイ(泊抜塞)などがある。なお、型の名称は口伝によるものが多いので、漢字は当て字が多く、種々の表記の仕方がある。
 一般的鍛練法としては、以上の練習体系を反復しつつ、腹筋運動によって腹を締め固め、補助具である巻藁(まきわら)で、拳(こぶし)や手首、足の裏(指の付け根の部分または足首から先の外側)などを鍛え、またバーベルや鉄下駄(げた)、力石(ちーし)など各種器具を用いて身体各部位の強化を図る。[金澤弘和]

試合および判定方法

空手道競技には組手試合と型試合とがある。組手試合は、安全確保の目的から、寸止(すんど)めといって相手の肉体に触れる寸前に止めることを大原則としており、もし一定の時間内(2分間または3分間)に勝負が決定しない場合、主審は、副審4人の旗による意志表示を参考に判定を下す。試合場は8メートル四方のコート内で行い、2人相対して自由に攻撃しあい、的確な突き、蹴り、打ちなどの技をもって勝負を決する。技は、定められた部位(頭部、顔面部、頸部(けいぶ)、胸部、腹部、背部)寸前で止めなければならない。
 型試合も、空手道修業のなかで重要な要素を占めており、基本、応用技も組手試合もすべて型のなかに凝縮されているといっても過言ではなく、「正確」「気魄(きはく)」「緩急」などのあらゆる要素をもって判定する。判定は、主・副審7名がおのおの1~10点までの間を表示し、最高と最低点を削除した5名の合計点が得点となる。
 なお、2001年からの新しい国際ルールでは、組手試合は上段蹴りを重視した配点となり、型試合は一対一のトーナメント方式が採用されることとなった。[金澤弘和]

現状と展望

国内的には、全日本空手道連盟は1969年(昭和44)財団法人となり、72年にはアマチュア・スポーツ団体として日本体育協会に加盟した。1970年に流派を越えた第1回全日本空手道選手権大会が開かれ、国民体育大会への参加回数を重ねている。世界的にも世界空手道連合(WUKO、通称ウーコ)が1970年に結成され、同年東京で第1回世界空手道選手権大会が催され、72年(フランス)、75年(アメリカ)、77年(東京)、79年(スペイン)、82年(台湾)、84年(オランダ)、86年(オーストラリア)、88年(エジプト)、90年(メキシコ)、92年(スペイン)、94年(マレーシア)、96年(南アフリカ)、98年(ブラジル)、2000年(ドイツ)と各大会ごとに盛り上がりをみせ、第1回参加33か国に比し、第15回は84か国参加と活況を呈し、空手道は日本のみのスポーツではなく、世界の共有財産のスポーツとなった。1994年には世界空手道連合と国際伝統空手連盟(ITKF)が合体して世界空手連盟(WKF)に改称し、さらに99年のIOC総会で世界空手連盟がオリンピックの公認競技団体に認定され、空手がオリンピック種目となる道が開かれた。[金澤弘和]

その後の動き

2008年11月、第19回世界空手道選手権大会が31年ぶりに東京で開催される。[編集部]
『富名越義珍著『琉球拳法唐手』(初版・1922・武侠社/復刻版・1994・榕樹社) ▽富名越義珍著『空手道教範』(初版・1935・大倉廣文堂/復刻版・1990・カヅサ) ▽中山正敏著『空手道新教程』(1965・鶴書房) ▽中山正敏著『ベスト空手』(1989~90・ベースボール・マガジン社) ▽金澤弘和著『空手型全集』上下(1981~82・池田書店) ▽金澤弘和著『空手組手全集――空手道・組手教範』(1987・池田書店) ▽儀間真謹・藤原稜三編『対談 近代空手道の歴史を語る』(1986・ベースボール・マガジン社) ▽宮城篤正著『空手の歴史』(1987・ひるぎ社) ▽金城昭夫著『空手伝真録――伝来史と源流型』(1999・沖縄図書センター) ▽笠尾恭二著『中国拳法伝(新版)』(2000・福昌堂)』

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