浅野氏祐(読み)あさの・うじすけ

朝日日本歴史人物事典 「浅野氏祐」の解説

浅野氏祐

没年:明治33.1.8(1900)
生年:弘化3?(1846)
幕末幕臣。安政3(1856)年小姓組に入り,万延1(1860)年使番から目付となる。翌文久1(1861)年蕃書調所御用取扱,講武所取扱などを経て諸大夫に列し伊賀守を称す。翌2年大目付,神奈川奉行,3年勘定奉行格兼外国奉行となるが,免職。神奈川奉行在任中の「不平之儀」により隠居・蟄居。のち許され,慶応1(1865)年陸軍奉行並となり,美作守と改称。その後,外国奉行,勘定奉行,若年寄並兼陸軍奉行を務め,明治1(1868)年江戸開城後は徳川慶喜に従い水戸(茨城県)へ,さらに徳川家達の静岡移封に従う。翌2年静岡藩権大参事,次いで静岡県参事に任じられたが,5年辞任。23年から28年まで侯爵徳川家の家令を勤めた。

(岩壁義光)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野氏祐」の解説

浅野氏祐 あさの-うじすけ

?-1900 幕末-明治時代武士,士族
幕臣。目付をへて文久2年(1862)神奈川奉行,翌年外国奉行をかねる。慶応元年陸軍奉行となり,勘定奉行,若年寄などを歴任した。維新後は静岡県参事,徳川家の家令をつとめた。明治33年1月8日死去。通称は次郎八,一学。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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