江戸幕府の役職で,神奈川(横浜)での外交事務をおもに担当した。神奈川開港直後の1859年7月3日(安政6年6月4日)に置かれ,当初は外国奉行の兼帯であった。場所高は2000石,長崎奉行の上席で,神奈川奉行を兼帯する外国奉行は,手当として年に300両の支給を受けた。翌60年10月28日(万延1年9月15日)からは専任の役職となり,場所高2000石,役料1000俵と定められた。神奈川奉行の職務は,外国軍艦商船の入出港および貿易に関する事務,洋銀引換え,外国領事との折衝,開港場の治安維持などで,そのほか貢租徴収,風俗取締りなど,一般の遠国奉行所なみの行政事務もあった。支配向(属吏)には,支配組頭,支配調役,支配調役並,支配定役元締,支配定役,支配同心肝煎,支配同心があり,さらにその下に神奈川奉行付上番,下番があった。支配向の大部分は横浜運上所に勤務した。68年5月16日(慶応4年4月24日)事実上廃職。
執筆者:小野 正雄
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江戸幕府の役職。幕末開港後、外国貿易の監督や外国人との交渉の任にあたるため設けられた。定員2~3人、2000石高、役料1000石、長崎奉行の上座とされた。幕府は1858年(安政5)五か国修好通商条約(米・英・蘭(らん)・露・仏)の締結により神奈川(後の横浜)を開港することとなり、翌59年外国奉行の水野忠徳(ただのり)、堀利煕(としひろ)、村垣範正(のりまさ)、酒井忠行(ただゆき)、加藤則著(のりあき)に神奈川奉行を兼務させた。青木町に会所を置き、戸部(とべ)村宮ヶ崎に奉行役所を、横浜村の中央に運上所(うんじょうしょ)(税関)を開いた。奉行5人のうち1、2人が交替出張して事務をみたが、60年(万延1)9月以降外国奉行の兼任をやめ、奉行職は専任となった。属僚に神奈川奉行支配組頭、同調役(しらべやく)、同定役(じょうやく)、同同心(どうしん)、同上番などがあった。
[加藤榮一]
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