知恵蔵 「浜口京子」の解説
浜口京子
武蔵野中学校(東京都)を卒業後は武蔵野高校(東京都)に進学するが、レスリングに専念するため中退。武蔵野学院大学日本総合研究所(東京都)客員教授。ジャパンビバレッジ所属(12年8月時点)。
中学時代は水泳をやっていたが、父の経営する道場でボディービルのトレーニングをするようになり、14歳の時レスリングを始める。
プロレスラー志望の男性選手と一緒に練習し、96年に全日本選手権70キロ級で優勝した。97年には世界選手権を制覇。2004年のアテネ・オリンピック女子レスリング72キロ級では銅メダルを獲得。開会式では日本選手団旗手を務めた。06年の世界選手権女子72キロ級の決勝戦において、ズラテバ(ブルガリア)のバッティング(頭突き)による負傷で敗退。審判団に対し父が抗議し、後日この危険行為を見逃したことで当該審判が降格処分となった。07年の世界レスリング選手権で、またもズラテバ戦にて、誤審だと国際レスリング連盟に対し審判に制裁を科すよう日本レスリング協会からテレビ映像を添えて抗議し、当該チェアマンが処分されるという因縁はマスコミを騒がした。
08年には、アジア選手権72キロ級で優勝し、同年の北京オリンピックでも銅メダルを獲得した。
11年、全日本選手権で15度目の優勝を飾った。これは男女を通じて歴代最多。12年のロンドン・オリンピックは、初戦の2回戦でグゼル・マニュロワ(カザフスタン)に敗れて敗退。マニュロワが3回戦で敗れたため、敗者復活戦にも回れなかった。
(菘(すずな)あつこ フリーランス・ライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報