浜口梧陵墓(読み)はまぐちごりょうのはか

国指定史跡ガイド 「浜口梧陵墓」の解説

はまぐちごりょうのはか【浜口梧陵墓】


和歌山県有田郡広川町山本にある墓所。浜口梧陵は、1820年(文政3)に生まれ、1885年(明治18)に没した紀伊国広村(広川町)出身の実業家・社会事業家・政治家。梧陵は雅号で、字(あざな)は公輿、諱(いみな)は成則。醤油醸造業を営む浜口儀兵衛家(現ヤマサ醤油)当主で、第7代浜口儀兵衛を名乗った。この間、洋学者、海防家としても活躍し、開国論を唱えた。梧陵の業績のなかで最も特筆されるのは、私財を投じて長大な広村堤防(国の史跡)を築き、住民を津波から守ったこと。戦前の国定教科書には津波から村人を救った物語「稲むらの火」のモデルとして掲載され、広く知られた。墓碑は淡濃山(たんのうさん)の東南麓に所在し、1938年(昭和13)に国の史跡に指定された。三方を土塀で区画して後方に切り石積みの基壇を築き、東方に梧陵、西方には同形式の浜口家歴代の墓碑が立つ。梧陵の墓は砂岩の延べ石を基礎に花崗岩の頂部丸面取りの台座を置き、頂部かまぼこ形の角柱を立てており、側面には「明治十八年四月廿一日 八代儀兵衛建」の銘文が刻まれている。JR紀勢本線湯浅駅から車で約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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