デジタル大辞泉
「開国論」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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開国論
かいこくろん
江戸時代末期,鎖国令を撤廃し外国と国交を開くべきであると主張した意見。早くから本多利明,本居宣長にもそれは認められたが,特に現実性をもったのはペリー来航以後である。幕府が諸大名に開国の是非を諮問した際,彦根藩主井伊直弼らは,通商交易による利益を説いた。このほか,福岡,掛川,佐倉,忍,津山の各藩主らは,それぞれ意味は異なるが開国に賛意を表わした。次いで通商条約締結の際には,薩摩藩ら4藩は通商に積極的で,このほか 16藩が通商に賛意を表わした。藩士層では,佐久間象山,横井小楠らが貿易による利益を唱え,攘夷の不可を説いた。江川太郎左衛門,勝海舟ら幕臣にもこの意見が多かったが,開国論の根底には領土拡張,海外進出の発想があった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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開国論
かいこくろん
江戸後期,鎖国政策を改め,対外関係拡大を主張した論議
18世紀末工藤平助・本多利明らが貿易による国富増進を論じ,19世紀初め佐藤信淵が海防上から通商を論じた。ペリー来航以後,経済的開国論は政策的開国論となり,佐久間象山・横井小楠らの開国論となった。安政の開国後は反幕府的な尊王攘夷論に対抗して佐幕論と結合した。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の開国論の言及
【海防論】より
…この状況が変わる重大な画期は[アヘン戦争]である。
[開国論と鎖国論]
海防論はロシアの南下を阻止するための蝦夷地開発論として始まる。その最初とされる工藤平助の《[赤蝦夷風説考]》(1783稿)は,蝦夷地開発とともに,ロシアと交易を開き,同地での密貿易を禁ずると同時に,ロシアの事情をつまびらかにすることを説いているが,まだ防備にはふれていない。…
※「開国論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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