日本歴史地名大系 「浜荻村」の解説 浜荻村はまおぎむら 千葉県:安房郡天津小湊町浜荻村[現在地名]天津小湊町浜荻、鴨川市東元浜荻飛地(ひがしもとはまおぎとびち)天津(あまつ)村の西に位置する。南は太平洋に面し、北背後に山地が迫る東西六町ほどの農・漁村。西は東(ひがし)村・広場(ひろば)村(現鴨川市)。東西に伊南房州通(いなんぼうしゆうどおり)往還が通る。現在、沿岸部一帯に奈良・平安期の遺跡が多数分布しており、鎌倉期より海上交通の拠点として開けていた天津の地と接すること、浜荻漁港を見下ろす小丘陵上に弘安五年(一二八二)創建の由緒を伝える海上交通の守護神貴船(きふね)神社が存在することなどから、早くから海上交通の要地として開発されてきた集落とみられる。天正二年(一五七四)二月二三日の正木憲時寄進状(清澄寺文書)によると、清澄(せいちよう)寺へ「天津浜荻」地内の田地九貫文が寄進されている。当地には湊を押える浜荻要害があったが、同八年の正木憲時の乱の際に里見義頼方の憲時が「はまをき要かい」を掌握している(同年一一月日「日我書状」椙山文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報