浜部村(読み)はまべむら

日本歴史地名大系 「浜部村」の解説

浜部村
はまべむら

[現在地名]磐田市浜部

ぼうそう川下流域、豊田とよだ中野なかの村の南にあり、南は遠州灘に面する。山名やまな郡に属する。天正一七年(一五八九)八月二三日の徳川家七ヵ条定書写(川島文書)宛先に「浜辺村」の庄屋弥七郎の名がみえる。慶長九年(一六〇四)伊奈忠次検地を受けた(「山名郡浜辺村御検地水帳」川嶋家文書)正保郷帳には浜部村とあり高一八九石余、幕府領。うち田方一四二石余・畑方四四石余、曹洞宗安楽寺領二石。水損と注記される。元禄郷帳では高一九〇石余。元禄一二年(一六九九)には浜松藩領(青山忠重領知目録)。のちに幕府領となり、掛川藩預地になっていた享保七年(一七二二)から年貢定免制が施行された(「年貢割付状」川嶋家文書)。延享二年(一七四五)幕府領から横須賀藩領となった(「年貢割付状」同文書)。寛政八年(一七九六)の村明細帳(同文書)によると、本田畑屋敷高二〇六石余、有高の反別は田方一五町四反余・畑方屋敷六町二反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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