日本歴史地名大系 「大原村」の解説
大原村
おおはらむら
北から東・南にかけて
寛永一九年(一六四二)の大原村検地帳(大東町史)によれば、田一〇三町六反余・代一三五貫三三七文、畑四六八町余・代九三貫七文、茶畑二反余・代四七四文、名請人数二二六。正保郷帳では大原宿とあり田一三四貫九三〇文・畑九三貫二二文、ほかに新田五七五文があり、小松山と注記される。大原本郷・
大原村
おおはらむら
年未詳七月付の大鳥居材木出所注文写(大願寺文書)に「一真柱楠弐本、能美大原中村より出」とあり、永禄四年(一五六一)一〇月四日付の厳島社大鳥居棟札写(同文書)に「大原村社一宇調返進之」とみえる。正徳五年(一七一五)の佐伯郡両能美島寺社古跡覚書帳(沖美町専念寺蔵)にみえる永禄七年一二月吉日付の大原八幡神社棟札写には「能美庄大原村」と記される。
大原村
おおはらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おはらむら
- 鳥取県:倉吉市
- 大原村
天神川の右岸、
大原村
おおはらむら
- 岐阜県:多治見市
- 大原村
西に
大原村
たいばるむら
大原村
おおばらむら
玖珂郡の北部、
村名は「大永ノ記録」(「山代温故録」所収)にみえ、「宇佐郷」の属村として「大原」が記される。永禄(一五五八―七〇)頃と思われる毛利隆元の児玉就忠宛の文書(「閥閲録」所収渡辺新右衛門家文書)に「山代之内宇佐大原」とあり、慶長五年(一六〇〇)の検地帳に「大原村」と出る。
大原村の近隣諸村との関係については「注進案」に、「往古は宇佐を本部の郷として、宇佐郷・大原を一円に宇佐村と名付、慶長年間御検地の節、三ケ邑と相分り、復タ其已後明和年間、村寄せ相成、爾来宇佐郷大原邑と唱来候」とある。
大原村
おつぱらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおばらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおはらむら
北流する
大原村
おおはらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおはらむら
大原村
だいばらむら
- 埼玉県:八潮市
- 大原村
大原村
おおはらむら
- 兵庫県:三田市
- 大原村
大原村
おおばらむら
元和五年(一六一九)の備後国知行帳で高三六六・三三一石。寛永四年分御免目帳之覚(槙田家文書)によると、屋敷方四・五五石、畠方二九・一四七石、田方一二五・五五石とあり、寛永六年分大原村御皆済目録(同文書)によると、高一九六・二七三石で〇・一五石が御蔵屋敷。
大原村
おおばらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおばらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおはらむら
- 福島県:原町市
- 大原村
大原村
おおはらむら
大原村
おおばらむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおはるむら
大原村
おおはらむら
大原村
おおばらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報