日本歴史地名大系 「浦五島町」の解説 浦五島町うらごとうまち 長崎県:長崎市長崎町浦五島町[現在地名]長崎市五島町・樺島町(かばしままち)・元船町(もとふなまち)・大黒町(だいこくまち)・金屋町(かなやまち)・恵美須町(えびすまち)・万才町(まんざいまち)本五島(ほんごとう)町の西、岩原(いわはら)川河口の左岸にある長崎内(うち)町の一ヵ町で、船手に属した。町並はほぼ南北に形成され、西部は海に臨む。天正六年(一五七八)頃成った五島町の西手に同一三年頃新町が起立、浦五島町と称した。慶長一九年(一六一四)頃、追放となったキリスト教信徒一〇〇余人は唐船一艘に乗せられ、のちの浦五島町の渡口からルソンに向けて出帆したという(長崎港草)。寛永長崎港図では内町として「浦五島町」と記される。寛文三年(一六六三)の大火で間数一三八間・家数二八を焼失(寛宝日記)、同一二年には長さ一三八間・実箇所数二八・諸役御免箇所三(長崎県史)。同五年幕府の巡見使が来着して出島(でじま)などを見た際、浦五島町・樺島町などを宿とした(長崎建立并諸記挙要)。元禄二年(一六八九)改の間数一三八間半で、三〇箇所のうち三箇所(乙名二・日行使一)が諸役御免(長崎拾芥)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by