幕末・明治時代の外交家。文政(ぶんせい)11年9月9日佐賀藩士枝吉忠左衛門(えだよしちゅうざえもん)の二男に生まれ、副島家を継いだ。次郎と称す。号は蒼海(そうかい)。1852年(嘉永5)京都に出て尊攘派(そんじょうは)志士と交際、1864年(元治1)長崎で英学を修めた。1868年(慶応4)3月新政府の参与・制度事務局判事となり、政体書の起草に従事。1869年(明治2)参議、1871年樺太(からふと)(サハリン)境界交渉のため、ロシア領ポシエト湾に赴いたが不調、11月外務卿(がいむきょう)に就任。マリア・ルーズ号事件に手腕を示し、1873年日清(にっしん)修好条規の批准書交換のため特命全権大使として北京(ペキン)に赴き、清国皇帝謁見に際して慣例の跪礼(きれい)を破って立礼で押し通したので、副島国権外交の名を高めた。10月参議となったが、朝鮮使節派遣をめぐる政府分裂(いわゆる明治六年の政変)で野に下り、1874年民撰(みんせん)議院設立建白書に名を連ねた。1879年宮内省御用掛一等侍講、1884年伯爵、1886年宮中顧問官、1888年枢密顧問官、1892年4月から6月まで松方正義(まつかたまさよし)内閣の内務大臣を務めた。明治38年1月31日没。
[毛利敏彦]
『丸山幹治著『副島種臣伯』(1936・大日社)』▽『島善高編『副島種臣全集』(2004~ ・慧文社)』
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(長井純市)
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明治期の政治家。佐賀藩士。幼名竜種,通称二郎。号は蒼海また一々学人。国学者枝吉種彰(南濠)の子として生まれ,副島家の養子となった。兄神陽も学者となり,弘道館で大隈重信,大木喬任,江藤新平,島義勇らを教えた。尊王攘夷運動に奔走したが,のち藩が長崎に設けた致遠館監督となりみずからもG.H.F.フルベッキに英学を学んだ。維新政府の参与,制度寮判事となり,政体書の起草に参画,1869年(明治2)参議となり,71年11月岩倉具視の欧米差遣にともない外務卿に就任し,マリア・ルース号事件,琉球帰属問題にあたった。73年全権大使として清国へ行き,帰国後征韓論を唱えた。一時参議となったがすぐ辞任し74年民撰議院設立建白に署名。しかし民権運動には参加せず宮中に入り,一等侍講,宮中顧問官などを歴任,88年枢密顧問官となり,91年には副議長を務めた。92年松方正義内閣の内相を一時務めたこともある。能書家としても著名。
執筆者:田村 貞雄
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1828.9.9~1905.1.31
幕末期の佐賀藩士,明治期の政治家。実兄の国学者枝吉(えだよし)経種(神陽)の義祭同盟に参加,尊王攘夷運動にたずさわる。大隈重信と大政奉還の斡旋を試み藩から謹慎処分をうける。維新後,参与・参議・外務卿などを務め,樺太国境問題,マリア・ルス号事件,琉球帰属問題の処理などにあたり,全権大使として日清修好条規批准書の交換を行った。1873年(明治6)参議兼外務卿となったが征韓論で下野,翌年民撰議院設立を建議,愛国公党の結成に加わる。88年枢密顧問官。翌年大隈の条約改正交渉を批判して天皇の戒諭をうけた。枢密院副議長をへて92年第1次松方内閣の内相となるが,白根専一次官と対立して辞任。詩文に優れ,東邦協会会頭を務めた。伯爵。
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…71年〈穢多非人廃止建白書〉を民部大輔大木喬任に提出。72年神奈川県権令となり,外務卿副島種臣の命をうけて,横浜に寄港したペルー国汽船マリア・ルース号の中国人苦力虐待問題の裁判長となり,奴隷売買は人道に反すと判決して苦力231名全員を本国に送還さす(マリア・ルース号事件)。74年大蔵省に出仕したが翌年辞職。…
…また1894年に夭折した中野逍遥も強烈な恋愛感情を漢詩に託した詩人として注目される。森春濤・槐南らの清詩派に対抗し,漢・魏の古体詩を主唱して現れたのは副島種臣(そえじまたねおみ)(蒼海)であり,国分青厓,桂湖村,石田東陵らはこれに和してしだいに勢力を拡大していった。詩人たちの集りである吟社には下谷吟社(大沼枕山),茉莉吟社(まつりぎんしや)(森春濤),麴坊(こうじまち)吟社(岡本黄石)などがあり,それぞれに雑誌を発行するなどして世の好みに投じた。…
…1871年琉球宮古島,八重山島の漁船が台湾に漂着し,乗組員多数が原住民に殺害され,さらに73年には岡山県の船員が略奪されるという事件が起こった。このため早くから征韓論を唱えて大陸進出をめざしていた外務卿副島種臣は,これを台湾征討の理由とし,あわせて琉球の帰属問題を国際的に明確化しようとし,前厦門(アモイ)駐在のアメリカ領事ル・ジャンドル(李仙得)を顧問に雇い,その助言によって出兵を計画した。73年6月副島が特命全権大使として日清条約批准書交換のため清に赴いたとき,副使柳原前光をして台湾漂流民の問題を交渉させたが,清国側は,琉球は日本領ではなく,また台湾の原住民は法律の外にあるとし,その処置を拒んだ。…
※「副島種臣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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