日本歴史地名大系 「浦代浦」の解説 浦代浦うらしろうら 大分県:南海部郡米水津村浦代浦[現在地名]米水津村浦代浦現米水津村の中心部、米水津湾の北西岸に位置。浦代峠越で佐伯(さいき)城下に至る道がある。浦白・浦城とも記す。慶長六年(一六〇一)の竹野浦組差出帳(佐伯藩政史料)に「浦城」とみえ、高四〇石余、名請人又右衛門がみえる。同一三年又右衛門は他国の牢人を使って荒地を開発し、佐伯藩主毛利高政から屋敷地(三畝)の年貢を免除されている(「毛利高政扶持宛行状写」温故知新録)。翌年当浦ほか四ヵ浦の肝煎に竹野(たけの)浦の左京が任じられている(「毛利高政下知状」御手洗文書)。正保郷帳では米水津郷に属し、田高一一石余・畑高二四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by