大分県南東部の市。2005年3月旧佐伯市と宇目(うめ),蒲江(かまえ),上浦(かみうら),鶴見(つるみ),弥生(やよい)の5町,直川(なおかわ),本匠(ほんじよう),米水津(よのうづ)の3村が合体して成立した。人口7万6951(2010)。
佐伯市南西部の旧町。旧南海部(みなみあまべ)郡所属。人口3664(2000)。北川上流域に位置する。北部山地を源とする中岳川,田代川,市園川が中央部を南流し,南部で合流して北川となる。町の全域が山地で占められ,耕地は少ない。農林業が中心で,米,茶,鶏卵,木材などを産し,特にシイタケの栽培が盛んで,メロンやサフランの栽培もされている。近世初期の開発と伝える木浦鉱山は,1957年に事実上閉山し,以後は研磨材などに使われるエメリーが採掘されていた。西部の傾(かたむき)山一帯は祖母傾国定公園に属し,藤河内渓谷,観音滝などがあり,傾山系のカモシカは特別天然記念物に指定。JR日豊本線,国道10号線が通る。
佐伯市南東端の旧町。旧南海部郡所属。人口9160(2000)。日向灘に面する。山地が海岸に迫り,平地は少ないが,屈曲に富んだリアス海岸は天然の良港で,漁業の基地となっている。蒲江漁港を中心に,イワシ,ブリ,タイなどを水揚げし,鮮魚をはじめ塩干し,みりん干しなど水産加工物を県の内外に出荷する。近年,真珠やハマチなどの養殖が盛ん。背後の傾斜地ではかんきつ類が栽培され,養豚や花卉栽培も行われる。日向灘に浮かぶ屋形島,深島付近の海底にはサンゴ礁がみられ,リアス海岸一帯とともに日豊海岸国定公園となっている。
佐伯市北東端の旧町。旧南海部郡所属。人口2714(2000)。佐伯湾に面し,町域は彦岳東麓と四浦半島南半分より成り,山地が海岸まで迫って平地はとぼしい。急傾斜地は段々畑となり,温暖な気候を生かしてミカンが栽培されるほか,畜産や花卉栽培などが行われる。かつて盛んであった沿岸漁業は栽培漁業への転換が図られ,県水産試験場(現,大分県農林水産研究センター水産試験場)や県栽培漁業センター(現,大分県漁業公社上浦事業所)などが設置されている。JR日豊本線浅海井(あざむい)駅の近くに暁嵐(ぎようらん)の滝がある。
執筆者:萩原 毅
佐伯市東部の旧市。豊後水道に面する佐伯湾に臨む。1941年市制。人口5万0120(2000)。市街地は佐伯湾頭に注ぐ番匠(ばんじよう)川の三角州上に発達する。古くは佐伯氏が鶴岡に栂牟礼(とがむれ)城を築き勢力をもっていたが,大友氏改易のさい滅び,代わって毛利高政が1601年(慶長6)2万石で入封,現在の城山に城を築き,そのふもとに城下町をつくった。現在,山手地区に武家屋敷が残っている。明治以降は県南の地方中心都市として発展した。第2次大戦前は海軍の基地があり,戦後,これらの施設跡にパルプ,造船などの工場が進出,そのほか海崎(かいざき)地区に合板,セメントの工場も立地して工業都市となったが,低成長下にセメントを除き経営不振におちいり,合板工場は廃止された。国木田独歩は1893年から約1年間佐伯に教師として赴任したが,小説《源をぢ》《春の鳥》はこの地を舞台としている。JR日豊本線が通る。
執筆者:勝目 忍
佐伯市北東部の旧町。旧南海部郡所属。人口4335(2000)。佐伯湾に臨む鶴見半島の北半分を占め,リアス海岸が発達し,半農半漁の集落が点在する。松浦,大島などの漁港を基地にしてイワシ,サバ,ブリなどを水揚げし,県下有数の漁獲高をあげている。平地は少ないが,傾斜地ではウンシュウミカン,アマナツ,ハッサクが生産されている。九州最東端の岬である鶴御(つるみ)崎とその周辺は自然景観に恵まれ,日南海岸国定公園,豊後水道県立自然公園に指定されている。
佐伯市中部の旧村。旧南海部郡所属。人口2847(2000)。九州山地の一角を占め,中央を番匠川の支流久留須(くるす)川が北流する。東は旧佐伯市,南は宮崎県に接する。豊後と日向を結ぶ要路にあたり,現在もJR日豊本線,国道10号線が通る。中心は直川駅周辺の赤木。米作を中心に花卉栽培,養豚などが行われる。また村域の大部分を山林が占めるため,杉,ヒノキの良材やシイタケを産する。赤木を中心に中世の石幢(せきどう),宝塔などが多く〈石塔の里〉と呼ばれ,訪れる人が多い。心光庵には正安1年(1299)銘の木造阿弥陀如来像が伝えられ,仁田原(にたはら)に黒沢地蔵尊,水口(みなくち)にキリシタン墓がある。
佐伯市北西部の旧村。旧南海部郡所属。人口2049(2000)。村域の大部分が山林で耕地は中央部を東流する番匠川流域に限られる。農林業が主で,茶,木材,シイタケを産するほか,薬草のオウレンの栽培が盛んである。天然記念物の小半(おながら)鍾乳洞がある。村の西端を国道326号線が通じる。
佐伯市北部の旧町。旧南海部郡所属。人口7079(2000)。番匠川中流域に位置し,北は津久見市,東は旧佐伯市に接する。古代から中世にかけて佐伯氏の根拠地であり,近世は佐伯藩(毛利氏)領であった。中央部を東流する番匠川とその支流沿いに耕地が開け,米,野菜,花卉,タバコなどが栽培される。山林が総面積の大部分を占め,林業やシイタケ栽培も行われる。近年医療器具,冷凍機器などの工場が進出した。尺間(しやくま)山(641m)は日豊海岸国定公園に含まれ,山頂から豊後水道のリアス海岸が展望できる。山はまた古くから霊山として尊崇され,山頂には16世紀後半に開かれた尺間神社があり,開運の神として参詣客が多い。旧佐伯市との境にある栂牟礼(とがむれ)山(224m)の山頂には,戦国時代に佐伯氏が築いた山城跡が残っている。上小倉に磨崖石塔群(宝塔7基,五輪塔23基)がある。
佐伯市東端の旧村。旧南海部郡所属。人口2481(2000)。東は豊後水道に面するリアス海岸で,鶴御崎と丸硑(まるばえ)ノ鼻に抱かれた米水津湾を囲む。村域の大部分は山地で占められ,耕地面積の大部分はミカン園で,ウンシュウミカン,アマナツ,イヨカンなどが栽培されている。海岸部は良港に恵まれ,宮野浦を中心に巻網,底引網などによる沿岸漁業が行われ,サバ,アジ,イワシなどが水揚げされる。近年,真珠やハマチ,ブリなどの養殖も盛んで,塩干魚やいりこなどの水産加工品もある。沿岸は日豊海岸国定公園の一部で,沖黒島,竹野浦にビロウ,横島にビャクシン,鶴御崎の先端に近い間越(はざこ)にはハマユウが自生する。
執筆者:萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大分県南東部、佐伯湾に臨む市。1941年(昭和16)南海部(みなみあまべ)郡佐伯町と八幡(やはた)、大入島(おおにゅうじま)、西上浦の3村が合併して市制施行。1955年(昭和30)同郡下堅田(しもかたた)、木立(きたち)、青山の3村を編入。2005年(平成17)南海部郡上浦町(かみうらまち)、弥生町(やよいまち)、本匠村(ほんじょうむら)、宇目町(うめまち)、直川村(なおかわそん)、鶴見町(つるみまち)、米水津村(よのうづむら)、蒲江町(かまえちょう)を合併。市街は1601年(慶長6)毛利高政(もうりたかまさ)(1559―1628、2万石)が鶴屋(つるや)城を築き、佐伯氏のいた栂牟礼(とがむれ)城下の町を鶴屋城下の番匠(ばんじょう)川デルタ上に移したのに始まる、佐伯藩の旧城下町。明治以後も南海部郡地方の中心都市として発展した。東は豊後(ぶんご)水道の佐伯湾に面し、太平洋に近い軍事的好位置から、1934年(昭和9)海軍航空隊、1940年海軍防備隊が設置された。番匠川の工業用水にも恵まれ、第二次世界大戦後これらの跡に興国人絹パルプ佐伯工場と臼杵(うすき)鉄工所佐伯造船所が誘致され、港に臨んで二平(にへい)合板が立地した。シイタケ、いりこ(煮干し)、イチゴ、メロンなどの特産がある。JR日豊(にっぽう)本線、東九州自動車道、国道10号、217号、326号、388号が通じる。狩生鍾乳洞(かりうしょうにゅうどう)、堅田郷八幡社のハナガガシ林は国指定天然記念物。富尾(とみお)神社の神踊・杖(つえ)踊、佐伯神楽(かぐら)は県指定無形民俗文化財、白潟(しらかた)遺跡は県指定史跡。城山の三の丸から養賢寺(ようけんじ)へ続く山際の道に武家屋敷が残存し、英語教師として赴任した国木田独歩(くにきだどっぽ)の下宿坂本家(現、城下町佐伯国木田独歩館)もある。面積903.14平方キロメートル、人口6万6851(2020)。
[兼子俊一]
『『佐伯市史』(1974・佐伯市)』
広島県西部、廿日市市(はつかいちし)中西部の地区。旧佐伯郡(さえきぐん)佐伯(さいき)町。中国山地、小瀬(おぜ)(木野(この))川上流域にある。1955年(昭和30)津田町(1921町制施行)と玖島(くじま)、友和(ゆうわ)、浅原、四和(しわ)の4村が合併して佐伯町(さえきちょう)となる。1982年町名の読み方を「さいき」に変更。2003年(平成15)吉和(よしわ)村とともに廿日市市に編入。国道186号が通じる。農林業が中心で、シイタケ、ワサビ、ブドウ栽培が行われ、酪農、ニシキゴイ養殖も盛んである。小瀬川沿いには岩倉温泉、羅漢温泉や羅漢峡谷、支流の七瀬(ななせ)川沿いに万古(ばんこ)渓がある。
[北川建次]
『『佐伯町誌』全3巻(1981~1986・佐伯町)』
岡山県中南部、和気郡(わけぐん)にあった旧町名(佐伯町(ちょう))。現在は和気町の西部を占める地域。旧佐伯町は、1955年(昭和30)赤磐(あかいわ)郡佐伯村と和気郡の山田、塩田の2村が合併して町制施行。2006年(平成18)和気町と合併、新しい和気町となった。名称は古代の佐伯郷(ごう)に由来。吉備(きび)高原上にあり中央を吉井川が貫流し、河谷沿いに国道374号が走る。中心の佐伯は近世には岡山藩家老土倉(とくら)氏(1万石)の陣屋町、吉井川水運の川湊(かわみなと)、また在町(ざいまち)として一帯の商業中心地区であったが、現在では商業機能は衰え、農業を基盤に第二次、第三次産業が小規模に存在する。西部の田賀には県自然保護センターがある。
[由比浜省吾]
『『佐伯町史』(1975・佐伯町)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…大友氏に従った古庄氏ほかの東国御家人も,各地の地頭職を帯して土着した。1221年(承久3)の承久の乱では,大友氏2代の守護親秀は古庄氏や佐伯氏ら豊後武士団を率いて北条泰時軍に従い,宇治橋の戦で佐伯左近将監は戦死した。鎌倉中期のモンゴル襲来に際して守護頼泰は鎮西一方奉行に任じられ,九州武家勢力の中枢となった。…
※「佐伯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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