日本歴史地名大系 「浦内郷」の解説 浦内郷うらのうちごう 高知県:須崎市浦内郷浦ノ内湾に臨む地域一帯を中世に浦内郷といった。北は御領寺(おりようじ)山(三〇五・八メートル)から東西に延びる山嶺で画され、南は土佐湾に面し、中央部に東西に長い浦ノ内湾が入込んでいる。現須崎市の浦ノ内地区にあたる。浦ノ内東分の鳴無(ひがしぶんのおとなし)神社にあった半鐘の応永一七年(一四一〇)の銘(蠧簡集)に「浦内郷鳴無社」とみえるのが郷名としては早いが、建武三年(一三三六)一〇月二五日付の佐伯経貞軍忠状(蠧簡集拾遺)に「浦内神崎城」が攻められたことがみえ、中世の史料などは単に「浦内」と記したものが多い。前記軍忠状にみえる神崎(こうざき)城は、初め南朝方の田原六郎秀幸が拠ったと伝え、建武三年の戦いで西隣津野(つの)庄の岡本(おかもと)城主と考えられる北朝方の佐伯経貞に攻略された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by