日本歴史地名大系 「浦戸湊」の解説
浦戸湊
うらどみなと
[現在地名]高知市浦戸
浦戸湾口に西から半島状に突出した付根部にある。浦戸湾は地形としては港に適するが深度が浅く、この浦戸湊が外洋への要港であった。
「土佐日記」承平四年(九三四)一二月二七日条に「おほつよりうらどをさしてこぎいづ、(中略)こよひうらどにとまる」とあり、文献上はこれを初見とするが、港としての利用はさらに古く、律令国家形成後、その貢租や調庸の運送はここを出発港とし、国衙の外港としての役割を果していたといわれる。中世、商港としても重要視されていたことは、日本最古の海事法規といわれる廻船式目に、摂津兵庫の辻村新兵衛、薩摩坊津の飯田備前とともに「土佐浦戸篠原孫左衛門」の名がみえることからもうかがえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報