日本歴史地名大系 「浦戸村」の解説
浦戸村
うらどむら
土佐湾の入江浦戸湾の湾口に西から半島状に突出した地の大部分を占める。村の東、半島先端部は
「土佐日記」承平四年(九三四)一二月二七日条に「うらど」がみえる。中世には、廻船式目に浦戸の篠原孫左衛門の名があり、商港として要地であったことがうかがわれる。政治的にも重要な地点で、南北朝期初頭、南朝方水軍の拠点となっていたが、建武三年(一三三六)正月、北朝方の軍勢に攻撃されている(同月八日付「佐伯経貞軍忠状」蠧簡集拾遺)。
戦国時代には、長岡郡
浦戸村
うらとむら
浦戸村
うらどむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報