浦瀬村(読み)うらせむら

日本歴史地名大系 「浦瀬村」の解説

浦瀬村
うらせむら

[現在地名]長岡市浦瀬町

東山丘陵西裾の扇状地にある。南は麻生田あそうだ村、北は水穴みずあな村、西は長岡道を経由して宮下みやした村・富島とみじま村に至る。東は東山の小道えのき峠越で比礼ひれい(現栃尾市)を経由して栃尾方面に出る。口碑では、かつてこの辺りの山麓は信濃川の沿岸であったことから「浦瀬」の名が生れたという。村の北の道の傍らに小さな沼があり、葦が生えていて、上古は葦の浦と称したという。またこの付近にうしもぐりぶち旧跡があり、一千余坪の田は深い底に埋れ木があって、里人はこれを掘出し、刻込んで美しい器物として飾っていた。浦瀬は中世には「うらそ」とよび、浦曾または浦栖の漢字を用いた。応永一八年(一四一一)七月一〇日の越後普済寺雲光院領寄進状(上杉家文書)によると、某氏が下条道喜から相続した「東古志中条中浦曾村中安丸分八貫文」の地を栖吉普済すよしふさい雲光うんこう院に寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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