日本歴史地名大系 「浦田町」の解説 浦田町うらたちよう 三重県:伊勢市宇治地区浦田町[現在地名]伊勢市宇治浦田(うじうらた)町内宮の鳥居前の町で五十鈴川の左岸に発達した街村の末端にある。宇治今在家(うじいまざいけ)町から始まり中之切(なかのきり)町を経て浦田町に至る間がいわゆる内宮の鳥居前町で、牛谷(うしたに)坂を通って間山(あいのやま)に至り外宮へと通じた。「太神宮諸雑事記」には神亀六年(七二九)正月一〇日のこととして「御饌物依例於豊受神宮調備、従彼参於太神宮之間、字浦田山之迫道、死男為鳥犬被喰、肉骨分散途中、然而忽依無遁去之道、件御饌物乎徹天合期供進已了」と記されている。中世までこの浦田山の迫道を通ることなしに内宮参詣は不可能であったことがうかがえる。宇治六郷のうち、上二郷の岡田(おかだ)に含まれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by