中国,北魏時代に作られた河川誌。酈道元(れきどうげん)(?-527)の著。40巻。《水経》というのは三国時代,3世紀にできた簡単な河川誌で著者もわからないが,これに酈道元が多数の文献と自分の旅行体験とを,注という形にまとめて付け足し,内容豊富な地理書に作り上げた。黄河水系より始め淮河(わいが),長江(揚子江)より江南に及ぶ中国全土の河川ごとに,流域の都市,名勝,旧跡,伝説,民俗等を詳細に記述する。中国の通常の地理書が行政区画分けになっているのとは異なり,河川の流域別に記された歴史地理書といってもよい。とくに引用文献の中には今日すでになくなったものが多く,書誌学上から重視されるほか,著者その人の文才による巧みな叙景文が随所にみられるので,文学史上からも特異な著作として注目されている。 本書は40巻のうち5巻分が早くなくなったので,宋代,10世紀のころ内容を考慮せずに,巻数を40巻にして外形を整えた。したがって,体裁や順序が乱れ,経文と注文との区別がつかない部分も生じた。後世これをもとの形に復元しようとする研究が起こり,ことに清代には全祖望(ぜんそぼう),趙一清(ちよういつせい),戴震(たいしん)という3学者が出て,互いに業績を競った。しかし,この3人は年齢からも《水経注》の研究歴の上からも全,趙,戴という順序なのに,それとは逆に成果が出版されたため,学界に大問題を起こした。だれがだれの説を盗用したかということが論争の的となり,今日に至るまでまだその結末はついていない。これらの研究を集大成した最終的決定版ともいうべきものは,清末から中華民国初年にかけての楊守敬によって作られた《水経注疏》である。その生前にはついに脱稿をみず,ごく一部分が発表されただけであったが,死後,門弟の熊会貞(ゆうかいてい)が遺志をついで完成させた。ただし,出版されたのは1957年で,これに引き続き熊氏の後輩である李子魁(りしかい)によって校訂されたものが,71年に出版された。なお,その副産物ともいうべき《水経注図》は,早く楊氏の手によって刊行されている。
執筆者:日比野 丈夫
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中国の地理書。40巻。著者は北魏(ほくぎ)時代の酈道元(れきどうげん)(?―527)。もと3世紀のころに記されたとみられる『水経』という書があり、それには中国のおもな河川の源や経路、河口などがきわめて簡単に記載されてあったが、本書は、酈道元が6世紀の初めに『水経』に詳細な注をつけてできあがったものである。その注は、『水経』の137河川を大幅に上回る1252河川を取り上げており、それらの流路や、その流域の都邑(とゆう)、古跡、山水などについて、豊富な文献の引用と、自身の体験とに基づいて記述したものである。その記述の文学的な筆致は有名であり、また引用された書物のうちにはすでに失われてしまったものも多く、文献学的にも重要な意味をもっている。なお、このように河川の水系を基準にした体裁は、通常の行政区画に基づく中国の地理書のなかでは異色のものといえる。
[中村圭爾]
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…四六文は,いわば和声的な美文だから,抒情的な内容にふさわしく,議論文や歴史の記述には適合しないはずなのに,南北朝の文人はあらゆる事をこの文体で書いた。北魏の酈道元(れきどうげん)の《水経注(すいけいちゆう)》のような地誌でさえ,この文体で書かれ,その風景を描写した美文は高く評価されていた。南朝の四六文の大家は(6世紀の)徐陵(じよりよう)と庾信で,巧みな対句の構成法は後世の模範となる。…
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