日本大百科全書(ニッポニカ) 「開目抄」の意味・わかりやすい解説
開目抄
かいもくしょう
日蓮(にちれん)の代表的著書。2巻。1272年(文永9)2月、51歳のときに佐渡で著された。日蓮は1271年9月12日に幕府の手によって捕らえられ、片瀬竜ノ口(たつのくち)(神奈川県藤沢市)の刑場に送られ、さらに佐渡に流罪となったが、寒さのなかで死に直面しながら、後世への形見として著したのが本書である。打ち続く深刻な法難に不安と動揺の念を抱く信者に対して、受難こそ末法の世における『法華経(ほけきょう)』の行者の証(あかし)であると主張し、「上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)の応現日蓮」の自覚をうたい上げている。とくに「我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ」の語は、日蓮の三大誓願として有名である。原本は、1875年(明治8)の身延山(みのぶさん)久遠寺(くおんじ)炎上とともに焼失した。
[中尾 尭]
『兜木正亨・新間進一校註『日本古典文学大系82 親鸞集・日蓮集』(1964・岩波書店)』