日本歴史地名大系 「海老谷村」の解説 海老谷村えびたにむら 和歌山県:海南市海老谷村[現在地名]海南市海老谷北流する亀(かめ)の川の源流付近に集落が点在する山間村で、那賀(なが)郡に属した。東は赤沼(あかぬま)・西上谷(にしかみだに)の両村、西は名草(なくさ)郡東畑(ひがしばた)村、南東は長峰(ながみね)山脈を挟んで有田郡瀬井(せい)村(現金屋町)に接する。平安中期以降は石清水(いわしみず)八幡宮領野上(のかみ)庄に含まれたと考えられる。野上八幡神社(現海草郡野上町)の宮座などに残る野上七村のうち亀ノ川村に属した(続風土記)。亀の川筋をさかのぼり、長峰峠を経て瀬井村の畦田(あぜた)へ向かう道が通じており、和歌山方面から生石(おいし)山へ行く近道として利用された。集落は山腹の緩斜面に立地し、棚田が発達している。 海老谷村えびだにむら 京都府:船井郡日吉町海老谷村[現在地名]日吉町字四ッ谷(よつや)大谷(おおたに)村の北にあり、北は若狭街道海老坂(えびざか)峠で桑田郡板橋(いたばし)村(現北桑田郡美山町)に至る。南は東谷(ひがしだに)村、西は上草原(かみくさはら)村(畑郷村)・殿(との)村に続く。郡境の奥(おく)山(七五八メートル)南側斜面に源を発する海老谷川沿岸の、わずかな平坦地に人家が点在する。園部藩領。村高は元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳で五五石余、天保郷帳には四倍近い一九八石余が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報