海蔵院村(読み)かいぞういんむら

日本歴史地名大系 「海蔵院村」の解説

海蔵院村
かいぞういんむら

[現在地名]十文字町かなえ

横手盆地の南端皆瀬みなせ川の北方にあたり、東は住吉荒田目すみよしあらため村、北は越前えちぜん村、西は志摩新田しましんでん村と境する。

梅津政景日記」元和七年(一六二一)七月二六日条に「海蔵院開」から院内銀山いんないぎんざん(現雄勝おがち郡雄勝町)への納米の記録がみえる。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には海蔵院新田村と記すが、享保一四年(一七二九)の平鹿郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)には海蔵院村とある。村の開発、村名の由来について、同一一年山伏海蔵院の子孫が上申した辛労免高引上げ中止願(荒井文書)がある。

<資料は省略されています>

則慶長十二年見立申候新開住吉荒田目、卯年野形御指紙内膳様より被下置御開羽立申候事(中略)段々羽立申居、以後当高三百七十七石余開発仕、海蔵院ト申一村ヲ羽立、唯今家数三十二軒御百姓惣家内百五十余人住居

享保一五年の「六郡郡邑記」には、海蔵院という山伏が梅津政景の差紙で慶長一二年(一六〇七)に開墾したとあり、枝郷として牡丹野ぼたんの村・新所あらとこ村・三ッ屋みつや村・新関にいせき村・四ッ屋よつや村をあげている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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