十文字町(読み)じゆうもんじまち

日本歴史地名大系 「十文字町」の解説

十文字町
じゆうもんじまち

面積:三八・五三平方キロ

横手盆地南部に位置し、東南に増田町、北西平鹿町雄物川町、南西に皆瀬みなせ川を隔てて湯沢市・雄勝おがち郡羽後町に接する。東南より北西に緩く傾斜する平坦地。水田単作地帯で、二千二〇〇余ヘクタールに及ぶ水田は成瀬なるせ川・皆瀬川を水源として灌漑する。

明治三八年(一九〇五)奥羽本線が全通、十文字駅が開設され、十文字新田村は十文字村の中核として発展。道路は奥羽本線に平行して国道一三号(羽州街道)が南北に縦貫し、これを起点に国道三四二号と県道野崎―十文字線が交差している。

十文字町
じゆうもんじちよう

中京区柳馬場蛸薬師下ル

南北に通る柳馬場やなぎのばんば(旧万里小路)を挟む両側町。北側は蛸薬師たこやくし通に面し、南側は一部錦小路にしきこうじ通に接する。

平安京条坊では左京四条四坊二保六町東及び同三保一一町西。平安中期以降は錦小路万里小路南。

「綿売本神人々数事」(祇園社記)に「四条坊門万里小路南東頬一人」とあり、応永(一三九四―一四二八)の頃、この地東側に祇園社錦本座商人が居住していた。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「十文字町」とあり、以後変化はない。

十文字町
じゆうもんじちよう

下京区高辻通猪熊西入

東西に通る高辻たかつじ(旧高辻小路)を挟む両側町。

平安京の条坊では左京五条二坊二保三町南側と同四町北側にあたり、平安中期以降は高辻小路猪熊いのくま小路西の地。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「十文字丁」と記し、以後近世を通じて使用されるが、宝永六年(一七〇九)京大絵図など木版図には「七軒町」とあり、両者が併用されたらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報