海裹庄
うつとのしよう
現宇津戸を荘域とし、延慶二年(一三〇九)九月二七日の地頭請文(「御調郡誌」所収)に「海裹庄」とあり、同年六月二〇日の六波羅下知状(同書所収)に従って中分が実施された。これによると、
<資料は省略されています>
とあり、ほぼ宇津戸川に沿って中分され、栗林は名田に付け、他の山地は領家・地頭双方の沙汰とされた。公文として沙弥戒円、御使として友安の名がみえる。伝えによると白鹿が走った所を中分の境界に定めたといい、長尾道(石見路)西方の田に境界石が現存。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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