海野屋作兵衛(読み)うんのや・さくべえ

朝日日本歴史人物事典 「海野屋作兵衛」の解説

海野屋作兵衛

没年天和2.2.8(1682.3.16)
生年:生年不詳
江戸前期の手賀沼新田(千葉県)開発請負人。江戸本小田原町の鮮魚商。寛文11(1671)年,17人の開発仲間の金主となり発作新田(印旛郡印西町)に移住。享保年間(1716~36)には江戸町人高田茂右衛門らによる浅間堤造成などの試みもあったが,これは成功しなかった.仲間が次々に脱落するなかで2代又重郎,3代藤久の3代60年にわたる水害との苦闘の末,1800石余の新田開発をなしとげた。子孫は海野姓を名乗って発作居住。<参考文献>『千葉県東葛飾郡誌

(中村勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「海野屋作兵衛」の解説

海野屋作兵衛 うんのや-さくべえ

?-1682 江戸時代前期の開拓者
江戸の町人。寛文11年下総(しもうさ)手賀沼(てがぬま)新田(千葉県)の開発をうけおう。手賀沼から印旛(いんば)沼にいたる約4kmの排水路の掘割工事をおこない,発作(ほっさく)新田など約230haの新田を生みだした。天和(てんな)2年2月8日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android