手賀沼(読み)テガヌマ

デジタル大辞泉 「手賀沼」の意味・読み・例文・類語

てが‐ぬま【手賀沼】

千葉県北西部、利根川南岸にある沼。江戸時代以来たびたび干拓されて縮小

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精選版 日本国語大辞典 「手賀沼」の意味・読み・例文・類語

てが‐ぬま【手賀沼】

  1. 千葉県北西部、利根川の右岸にある沼。中世までは香取海の入り江で、手下浦(てかのうら)と呼ばれていたが、近世に利根川の堆積土砂でふさがれて沼となった。富栄養湖で、かつてはウナギコイなどを漁獲した。近世初期から干拓され、第二次世界大戦後の国営干拓工事も完成して、面積は縮小、東半部は水田地帯になった。

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日本歴史地名大系 「手賀沼」の解説

手賀沼
てがぬま

県の北西部に位置する東西に細長い沼。水域は柏市・我孫子あびこ市・沼南しようなん町・印西いんざい市・印旛いんば白井しろい町にかかる。第二次世界大戦後の干拓(昭和四四年完成)しも沼とよばれた沼の東半分はほとんどが干拓されて水面積は半減した。現在は約五五〇ヘクタール、水深は一番深いところで一メートル弱。大堀おおほり川・大津おおつ川・金山かなやま落・亀成かめなり落などが流入し、沼水は六軒ろつけん川・弁天べんてん川を経て印西市木下きおろし地内で利根川右岸に排水される。古くは香取海・印旛沼とも連結した水域で、大治五年(一一三〇)六月一一日の平経繁私領寄進状(櫟木文書)には「手下水海」とみえ、相馬そうま御厨の南限が当沼であった。

近世初頭までは現我孫子布佐ふさ地先字川口かわぐちで利根川と結ばれ、高瀬舟も沼内に出入りしていた。寛永八年(一六三一)沼の最奥部から運河を開削、江戸川に結ぶ水運ルートが幕府によって計画されたが(徳川実紀)徳川秀忠の死によって見送られている。このため川口から八キロほど沼内に入った平塚ひらつか河岸(現白井町)戸張とばり河岸(現柏市)で陸揚げされた荷物は馬の背で江戸川左岸の加村かむら河岸(現流山市)などに運ばれた。その後利根川の逆流を防ぐため川口に堤が築かれ、圦樋が埋込まれたため沼内に高瀬舟は入れなくなった。その時期は明確ではないが、寛文六年(一六六六)当沼や印旛沼等の新田開発を目的として布川ふかわ(現茨城県利根町)・布佐間で利根川を締切り、八里に及ぶ新利根川を開削して霞ヶ浦南部につなぐ工事が行われており(翌年の大洪水などにより失敗)、この前後の沼河口部の新田開発に伴ってのことと考えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「手賀沼」の意味・わかりやすい解説

手賀沼
てがぬま

千葉県北西部、利根川(とねがわ)下流右岸にある湖沼。東西方向に細長く、周囲38キロメートル、面積6.5平方キロメートル、最深3.8メートル。近世初期に利根川が銚子(ちょうし)で太平洋に注ぐ流路に変えられたため逆流した土砂が堆積(たいせき)し、香取海(かとりうみ)の入口が埋められて沼となった。江戸時代より湖岸に沿って干拓が行われて新田(しんでん)集落が増えたが、たび重なる洪水の被害は大きかった。1946年(昭和21)食糧増産を目的として農林省が干拓を進め、1968年に完成して湖の東半部は完全に水田化され、周辺農家の経営規模は拡大した。明治以後、志賀直哉(しがなおや)、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)などの文人が沼畔に住み、北の鎌倉とよばれたが、近年はJR常磐(じょうばん)線、成田線沿線の住宅地開発が著しい。そこで家庭雑排水が流入して湖の汚濁が進み、水質汚濁全国一の値を示すほどになってその浄化対策が図られており、湖沼水質保全特別措置法の対象となっている。一帯は県立印旛手賀自然公園(いんばてがしぜんこうえん)に指定され、マコモ、ヨシが茂り、コイ、フナも多く、釣りやボート遊び、散策に人が訪れる。

[山村順次]

江戸時代の干拓

手賀沼は、江戸時代にしばしば干拓が計画され、4回にわたって大規模な普請が実施された。第1回は、幕府の代官細田時徳・近山安高が新利根(とね)川の開鑿(かいさく)・印旛沼(いんばぬま)干拓などと関連づけ見立てたもので、江戸町人万屋治右衛門(よろずやじえもん)ら17名が請方(うけかた)となり開始した。1671年(寛文11)の請負(うけおい)証文によると、鍬下年季(くわしたねんき)7年、資金は自分持(もち)、大規模な普請を理由に伊佐部(いさぶ)野(手賀組新田が成立)、大瀬(おおせ)野の開発権の取得などが記されている。直後、資金難で離脱する町人が続出し、証人として参画していた海野屋作兵衛(さくべえ)らが奮闘し発作(ほっさく)新田など沼周辺の小規模新田が成立した。第2回は、幕府勘定所(かんじょうしょ)の新田方井沢為永(ためなが)、四川奉行(ぶぎょう)高田次左衛門(じざえもん)らが1727年(享保12)に公費で実施し、千間堤を築いて沼を上下に区分し、下沼の干拓に成功し新田方の支配下に置かれたが、のち洪水で千間堤が決壊し失敗。第3回は、1738年(元文3)に地元相島(あいじま)新田名主佐治兵衛(さじへえ)ら3名が頭取となり、武蔵(むさし)国忍(おし)領の根岸源右衛門(げんえもん)・江戸駿河屋権兵衛(するがやごんべえ)らの協力を得て実施。成功後の分け前は金主6割・頭取割・根岸と駿河屋2割であったが失敗に終わる。第4回は、幕府代官宮村高豊(たかとよ)の見立てで、幕府勘定所が公費で実施。印旛沼の干拓と連動させ、枝(えだ)利根川(現、将監(しょうげん)川)の負俵口(まけだわらぐち)を締め切り、手賀沼の水を長門(ながと)堀に流下させたが、洪水のため締切堤が決壊し失敗した。

[大谷貞夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「手賀沼」の意味・わかりやすい解説

手賀沼 (てがぬま)

千葉県北西部の沼。東西の長さ約12km,幅約1km,面積6.5km2と細長く,最深部の水深約2m。東端から弁天川により利根川に排水する。古代には印旛(いんば)沼,霞ヶ浦に続く香取海(かとりのうみ)の入江であったが,利根川の堆積作用によってせき止められ,沼地となった。近世にはたびたび干拓が計画されたが,洪水によって破壊された。1946-67年に国営干拓事業が行われ,土地改良が進んだ。印旛沼手賀沼県立自然公園に属し,釣りの名所でもあるが,最近,沼周辺の我孫子(あびこ)・柏両市などの人口増加によって生活用水の流入が続き,アオコの異常発生など沼の汚染が著しい。大雨のときに利根川に流出する水は下流地域の水道に〈くさい水〉問題を発生させている。
執筆者:

手賀沼は近世前期から,下総国印旛郡内の印旛沼,匝瑳(そうさ)郡内の椿海とともに新田開発の対象として,数回にわたり干拓工事が行われている。江戸幕府による利根川工事の進展ともかかわりながら干拓が計画され,実施されたが,1655年(明暦1)江戸町人らの干拓計画が許可を受けたのが最初である。71年(寛文11)には江戸町人の請負で干拓工事が着手され,約300haの耕地を得たが,数回にわたる洪水で破壊された。1730年(享保15)には勘定吟味役井沢弥惣兵衛為永の建議などにより,沼中央に横堤を築いて上下に分断し,下沼を干拓して180haの耕地を得,その後の検地によりさらに45haの増加をみた。だが頻繁な洪水により安定せず,1785年(天明5)には老中田沼意次の下で幕府の手により大規模な干拓工事が実施されたが,利根川大洪水により諸施設が破壊され,同時に行われていた印旛沼干拓工事とともに中断された。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「手賀沼」の意味・わかりやすい解説

手賀沼【てがぬま】

千葉県北西部,利根川右岸の沼。標高3m,面積4.02km2,最深3.8m。下総(しもうさ)台地を刻む利根川支谷が本流の堆積物でふさがれてできた。12世紀には〈手下水海〉とみえる。江戸時代には銚子方面の海産物を運ぶ水路でもあり,またウナギ漁やカモ猟が行われていた。富栄養湖で,コイ,ウナギなどの釣やカモ猟の適地。近世以降干拓が行われ,縮小しつつある。
→関連項目我孫子[市]沼南[町]白井[市]白井[町]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「手賀沼」の意味・わかりやすい解説

手賀沼
てがぬま

千葉県北西部,利根川の南岸にある狭長な沼。面積 4.1km2,周囲 37km。最大水深 3.8m。利根川本流からの逆流により,堆積物が下総台地を流れる支流の谷の出口をふさいで生じた。近世以降しばしば洪水に見舞われ,沿岸の開発工事が進められてきたが,1954年国営干拓事業が完成,面積は4割減った。フナ,コイなどの漁獲がある。周辺は宅地造成が急速に進行している。印旛手賀県立自然公園の一部で,近郊緑地特別保全区。野鳥が多く,沼の近くに山階鳥類研究所がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「手賀沼」の解説

手賀沼
てがぬま

千葉県北西部の東西に長い沼。利根川水系の旧支谷が堰き止められてできた。面積4km2,最深3.8m,沼面標高3m。1727年(享保12)江戸幕府が干拓工事に着手し,中央に堤を設けて下部を干拓したが,38年(元文3)堤の決壊で新田は水没した。このほか2度干拓が試みられたが,いずれも洪水で失敗。1946年(昭和21)農林省により干拓工事が開始され,68年に約500ヘクタールの水田がうまれた。近年は沼の汚染が進んでいる。

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