20世紀日本人名事典 「深井仁子」の解説 深井 仁子フカイ ジンコ 江戸時代末期・明治期の女子教育家 国振学校創立者。 生年天保12年2月(1841年) 没年大正7(1918)年9月24日 出生地上野国高崎(群馬県) 経歴尾崎高雅、田島尋枝に学び、高崎藩主の子女の教育の任に当たる。明治維新後、婦人教育の重要性を唱え各地を遊説、自ら明治11年国振学校を創立し婦人教育に寄与した。また40年深井幼稚園を設立。一生独身を通し、教育に専念した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「深井仁子」の解説 深井仁子 没年:大正7.9.24(1918) 生年:天保12.2(1841) 幕末・明治初期の教育者。高崎藩士深井四郎資治の次女。尾高高正,田島尋枝に和歌,国・漢学を学び,長じて藩主の子女教育に当たった。明治11(1878)年国振学校,15年貧乏学校(通称発育学校)を高崎市に設立。群馬県婦人教育会においてはキリスト教批判で活躍,初期の文部省教員検定に合格。40年深井幼稚園を設立,教育一筋の生涯を終える。<参考文献>大学婦人協会群馬支部編『近代群馬の女性たち』 (亀田春枝) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「深井仁子」の解説 深井仁子 ふかい-じんこ 1841-1918 明治-大正時代の教育者。天保(てんぽう)12年2月生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)高崎藩士の娘。国学を田島尋枝(ひろえ)にまなぶ。明治11年国振(くにぶり)学校を設立し,女子教育につくした。40年深井幼稚園をつくり幼児教育にもとりくんだ。大正7年9月24日死去。78歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by