日本歴史地名大系 「深坂保」の解説
深坂保
ふかさかほ
揖斐庄内の保の一つで、現谷汲村深坂一帯に比定される。至徳三年(一三八六)四月五日の日付をもつ大般若経(佐山伝右衛門氏蔵)に「大野郡揖斐夜深坂保七所大明神」とある。応永二五年(一四一八)一二月一八日の土岐禰井法師宛管領細川満元施行状(瑞巌寺文書)には揖斐庄内深坂保とみえ、土岐治部少輔入道祐円の訴えにより、同保などを同一五年一一月一九日の御判に任せて祐円の代官に下地を沙汰させるよう命じている。「岐阜県史」史料編ではこの文書には疑問があるとしている。文明四年(一四七二)一一月二二日の足利義政袖判御教書(前田家所蔵文書)によれば、土岐深坂松寿丸が揖斐庄深坂保地頭職など五ヵ所の段銭・臨時課役・守護役ならびに人夫伝馬以下の免除を訴え、守護使不入の地であることが認められている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報