深持村(読み)ふかもちむら

日本歴史地名大系 「深持村」の解説

深持村
ふかもちむら

[現在地名]十和田市深持

小川原おがわら湖に北東流する砂土路さどろ川の起点付近に位置する。東は三本木さんぼんぎ村、北は洞内ほらない村、南西法量ほうりよう(現上北郡十和田湖町)、南は奥瀬おくせ(現同町)に接する。

寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に深持村として蔵分二四七・六石余、深持法量として蔵分四二一・一石余、給分二八五・一石余とある。馬の飼養数は一一五疋。家数は一二五で、支村は法量六、淵沢ふちざわ五、片貝かたかい五、小倉こくら六、百目木どめき一一、漆畑うるしはた六、山口やまぐち四、雨泉寺一一、中里なかさと九、川台かわだい五、山屋やまや五、鳥谷附とりやつく五、萩岫五、増沢ますざわ三、府金ふがね五、石渡六、中村なかむら一、蓬畑よもぎはた四、長沢ながさわ一〇、熊野沢くまのさわ四、川口かわぐち九とみえる。


深持村
ふかもちむら

[現在地名]青森市幸畑こうばた

幸畑村の南にあった山村。寛文四年(一六六四)の高辻帳になく、貞享元年(一六八四)郷村帳に高三三五・四石とみえ、この間の新村と思われる。同四年の検地帳には、上畑四反二一歩、中畑七畝二〇歩、屋敷七反二畝二五歩、畑屋敷合せて一町二反一畝六歩、村高八・六五二石とあり、屋敷地の裏畑のみである。また「分米難付土地」として畑三〇町五畝五歩、「末々畑可致開発場所」として畑地四町五反二畝二二歩が記され、開村まもないことをうかがわせる。元禄三年(一六九〇)には横内組に属し、村位は下である(平山日記)。天保五年(一八三四)の郷村帳に高三五・四石、うち二三・四石が「砂入川欠」とあり、旧高旧領取調帳の高一二・〇一三石と符合する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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