深日庄(読み)ふけのしよう

日本歴史地名大系 「深日庄」の解説

深日庄
ふけのしよう

現深日辺りにあった京都賀茂別雷かもわけいかずち社領庄園。吹井とも書く。寿永三年(一一八四)四月二四日の源頼朝下文案(賀茂別雷神社文書)では後白河院の院庁下文にしたがい、諸国四二ヵ所の賀茂別雷社領の庄園における武士狼藉を停止し、神事用途の備進を命じているが、この四二ヵ所の庄園のうちに「和泉国 深日 筥作」がみえる。応永五年(一三九八)二月日の室町幕府奉行人飯尾常円証状写(賀茂注進雑記)は、この頼朝下文の趣に相違ないと将軍足利義満の「御判」が下され、安堵されたことを証明している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む