深渡戸村(読み)ふかあどむら

日本歴史地名大系 「深渡戸村」の解説

深渡戸村
ふかあどむら

[現在地名]表郷村深渡戸

やしろ川中流域左岸に位置し、西は河東田かとうだ村、南は下羽原しもはばら村、東はつつみ(現棚倉町)、北は釜子かまのこ(現東村)。永和三年(一三七七)一一月二五日の結城朝治譲状(結城神社文書)に「ひこ夜叉殿のゆつり状」として「たか野きた郷内大たは村、ふかわたと、ぬまのさは」など六ヵ所が結城山ノ井家(北家)の朝治から養子とした小峰家の彦夜叉(憲朝)に譲られている。応永六年(一三九九)八月二八日の足利満貞書下状(阿保文書)によれば、「高野北郷内大多和、深渡戸、沼沢参ケ村以下事」が結城白川満朝に預け置かれている。江戸時代は初め会津領、寛永四年(一六二七)白河藩領、寛保元年(一七四一)以降越後高田藩領。


深渡戸村
ふかわたどむら

[現在地名]岩瀬村深渡戸

上柱田かみはしらだ・下柱田両村の南、北東流する岩根いわね(滑川支流)上流域の緩丘陵に立地。ふかわどと通称。白河古領村郷高帳に村名がみえ、高一五七石余。白河藩より引渡し長沼領村高(福島県史)には当村の項に、ほか吉兵衛きちべえ新田とみえ、高九五石余とある。寛文一三年(一六七三)検地では高三七三石余(「大久保藩村々石高」同書)。宝永七年(一七一〇)から正徳四年(一七一四)の間の改出新田高は一石余、これに対し元禄一三年(一七〇〇)以来の郷蔵屋敷ほか引高五石余、享保五年(一七二〇)以来の荒地高五〇石余(「長沼領村高調」同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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