添谷銅山(読み)そえだにかなやま

日本歴史地名大系 「添谷銅山」の解説

添谷銅山
そえだにかなやま

[現在地名]美川町大字添谷

添谷の東谷ひがしだにに、清安マブ・殿様マブ・傾城化粧岩などという地名が残る。この辺りが、慶安二年(一六四九)土地の人によって発掘され、享保一八年(一七三三)大坂泉屋の請山となり、元文年中(一七三六―四一)山師の和田喜兵衛の請になり、まもなく閉山になった添谷銅山の跡である。

その間九〇年、防長においては鉱山開発の盛期を過ぎた時期に、数少ない銅山として栄えたものとみえる。その史料は乏しいが、「山代温故録」に「慶安二年三月より、添谷村銅山出来、都野庄兵衛・今田与三右衛門二人被出、本郷市鍋屋五郎右衛門、元締年寄として勤る十三年、繁昌す」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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