日本歴史地名大系 「清住町」の解説 清住町きよすみちよう 東京都:江東区旧深川区地区清住町[現在地名]江東区清澄(きよすみ)一丁目小名木(おなぎ)川と仙台(せんだい)堀の中間に位置する大川(隅田川)東岸の町屋。深川清住(ふかがわきよすみ)町とも称した。北は霊雲(れいうん)院、南は陸奥仙台藩松平(伊達)家蔵屋敷、東は海辺大工(うみべだいく)町代地町。寛永六年(一六二九)成立した深川猟師(ふかがわりようし)町八ヵ町の一。当初は開発者で名主の弥兵衛の名から弥兵衛町と称し、漁業を許された代りに魚介類の献上などの諸役を負ったが無年貢地であった。寛文一〇年(一六七〇)伊奈半十郎による検地後は年貢地となり、元禄八年(一六九五)の再検地を経て町名も清住町に改められた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報