弥兵衛町(読み)やへえまち

日本歴史地名大系 「弥兵衛町」の解説

弥兵衛町
やへえまち

[現在地名]東区こく町二丁目

石町の西に続く両側の竪町で、東から内骨屋町うちほねやまち筋・松屋町まつやまち筋が南北に通る。明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図に町名がみえる。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数四一・役数六二半役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。町内坐摩ざま神社御旅所の諸役は神主が勤めた。年寄は鯉屋吉兵衛。宗旨組合は石町に同じ。「難波鶴」には江戸六日飛脚宿・長崎問屋・紙子膏薬屋・魚屋・医者・能鼓奏者各一、町浄瑠璃三、延享版「難波丸綱目」には紀伊和歌山藩掛屋敷、城内出入金座下金下買一、紀伊・播磨備前越中豊前の国問屋各一、近江(大津・日野・彦根)飛脚・伊勢御師宿各一、文政版「商人買物独案内」に松前産物昆布問屋二が載る。

弥兵衛町
やへえちよう

[現在地名]中央区日本橋富沢町にほんばしとみざわちよう

新大坂しんおおさか町の南にあり、東は元浜もとはま町、南は富沢町に接する東西に続く片側町。西は大門おおもん通に面する。明暦三年(一六五七)大火まで浜町はまちよう堀対岸に西本願寺別院(現本願寺築地別院)があり、参詣路にある新大坂町と当町には樒や香花を商う店が多かったことからはな町ともよばれた(「江戸砂子」「御府内備考」など)。寛永江戸図はここを「おハり町」とし、承応江戸絵図、明暦三年の新添江戸之図も同じ。元禄六年(一六九三)江戸図正方鑑では「トミサハ町」、享保年中江戸絵図になって弥兵衛町の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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