清原令望(読み)きよはらのよしもち

朝日日本歴史人物事典 「清原令望」の解説

清原令望

生年生没年不詳
平安前期の武官。元慶2(878)年,出羽国に起こった俘囚反乱(元慶の乱)に際し,藤原保則の鎮圧軍の一員として同年5月,出羽権掾に任命され,現地に下向,同年7月秋田河(雄物河)での戦いに活躍した。そうした手腕が買われたのであろう,乱平定後も秋田城司として駐留を命じられている。天性の武人で,のち大宰府(太宰府市)に少弐として赴任した際,新羅人の来襲に備え,兵を対馬に配置すること(894)や博多警固所に配置された「俘囚」の増強(895)を申請するなど,軍政にも能力を発揮。出羽に勢力を張った清原氏はこの令望から出たとする説もあるが,確証はない。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清原令望」の解説

清原令望 きよはらの-よしもち

?-? 平安時代前期の官吏
左衛門府に勤務。元慶(がんぎょう)2年(878)出羽(でわ)の俘囚(朝廷に服属した蝦夷(えみし))の反乱(元慶の乱)のとき,出羽権掾(ごんのじょう)を兼務して秋田河(雄物川)で反乱軍をふせぐ。のち秋田城司となる。寛平(かんぴょう)6年大宰少弐(だざいのしょうに)のとき,新羅(しらぎ)(朝鮮)に対する防衛の強化を要請した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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