清原清衡(読み)キヨハラノキヨヒラ

精選版 日本国語大辞典 「清原清衡」の意味・読み・例文・類語

きよはら‐の‐きよひら【清原清衡】

  1. 平安後期の武将陸奥豪族亘理(わたり)経清の子。武貞の養子。御館権太郎と称する。後三年の役で源義家援助をうけて異父弟家衡を討ち、陸奥、出羽押領使(おうりょうし)となる。藤原氏を称し、平泉根拠地として京都文化の移入に努め、中尊寺建立。天喜四~大治三年(一〇五六‐一一二八

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改訂新版 世界大百科事典 「清原清衡」の意味・わかりやすい解説

清原清衡 (きよはらのきよひら)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「清原清衡」の意味・わかりやすい解説

清原清衡
きよはらのきよひら

藤原清衡」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の清原清衡の言及

【後三年の役】より

…1083年(永保3)から87年(寛治1)まで,陸奥守源義家と清原一族の間で戦われた乱。清原氏ははじめ出羽国仙北3郡の豪族であったが,前九年の役のあとで安倍氏の旧領の奥6郡をあわせて,奥羽最大の勢力になった。しかしその一族内部には複雑な対立が存在した。乱の直接の契機は清原武貞の3人の子の対立にある。この兄弟は,嫡子の真衡が先妻の子,家衡が後妻安倍氏(安倍頼時の娘,藤原経清の後家)との間の子,清衡がその後妻の連れ子という複雑な関係にあった。…

【藤原清衡】より

奥州藤原氏代の初代。陸奥国押領使(おうりようし)。権太郎。父は藤原秀郷(ひでさと)の末裔の亘理(わたり)権大夫経清。母は安倍頼良(頼時)の娘。前九年の役で父が源頼義に殺され,母が出羽国の清原武貞に再嫁したため,清原の一族として成人した。後三年の役では異父弟の清原家衡によって館に火をかけられ,妻子を殺されるという非運にあうが,途中から源義家に属して家衡と戦い,清原氏の滅亡後は奥六郡(胆沢,江刺,和賀,稗貫,紫波,岩手の6郡)および出羽の山北(せんぼく)三郡(雄勝,平鹿,仙北の3郡)の支配権を継承して,奥羽の覇者となった。…

※「清原清衡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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